2016年03月20日

2016年クラブカップ自戦記他

俯瞰症。 3回生の辻岡です。
昨日、行われたクラブカップの自戦記を書かせていただきます。 チームはY前、O合の三人。

予選 1回戦 先手 戦形 左美濃対総矢倉
N研の超強豪の方に教えてもらうことに。全体を通して、指しにくさを感じていたが、感想戦では後手自信なかったと言われてレベルの差を感じた。急所に桂馬を叩き込まれ負け。チームは0−3。

2回戦 後手 戦形 ダイレクト向かい飛車
相銀冠になったので千日手にしようと場を停滞させたが、相手の仕掛けに対応できず負け。 チームは1−2。

本選 1回戦 後手 ダイレクト向かい飛車
65角と打ってから飛車角交換になるような力戦に。馬をタダで作られて自陣に引きつけられ敗勢に。時間を切らすことにモードチェンジしたのが幸いしたのか入玉して寄せがない状態に。53秒残して時間切れ勝ち。チームは2−1。

2回戦 後手 後手超速
右銀を早めに繰り出して、7、8筋にちょっかいを出して優勢に。飛車角を抑え込んだものの、具体的に先手玉に迫る順が見つからず無理やり攻め合いに。残り時間全てを費やしてなんとか詰まして勝ち。 チームは1−2。

結果は2回戦までと、惜しくも3年連続決勝の舞台へ進むことはできませんでした。 自身の成績も2−2と指し分けといえば聞こえはいいですが、強豪ひしめく予選で一勝もできなかったのは去年から成長していない証拠だと思います。
私を筆頭に読む量、深さが全体的に足りていないと今期は感じました。また22日、立て続けに大会がありますが、「なんとなく指す」のではなく各々の目的を持って指せば向上に繋がると思っています。明後日に向けて調整をしていきましょう。 ではでは。


posted by DSK会員 at 06:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月09日

将棋の勉強法について

院2回の松本です。何かしらDSKに貢献して卒業したいので、将棋の勉強法について書こうと思います。
「おまえ強くないだろ」とか言われそうですが、まあ気にせず書いていこうと思います。
何回かに分けて書こうと思います。

まず詰将棋について
個人的には、短手数の詰将棋(ハンドブックシリーズとか)を大量に解くのが効果があると思います。

このような大量に解くといった物量攻めの勉強法は才能がないと思う人ほどやってほしいです。同じような勉強をこなしていても吸収力のある人とない人の差が出ます。
短手数の詰将棋を大量に解いたりするのは、小学生が九九や100マス計算をやるようなものだと思うのでこなせば確実に成果が出ると思います。

同様な方法で寄せの手筋200(金子タカシ)もやってほしい。てかこの本は部員全員買うべき。

将棋は1人でできる勉強が多いです。
例えば野球だとバッティング練習をしたければバッティングセンターにでも行かないと出来ないし、サッカーだと実戦形式のドリブル練習をしたくてもディフェンス役の人がいないとなかなかしづらいです。サッカー日本代表の宇佐美貴史選手は1人でドリブル練習をするときに最強のディフェンダーがいる設定でドリブルをするらしいです。本人は妄想ドリブル(略して妄ドリ)と呼んでいるらしいです。
将棋の場合はほぼ実戦に近い状況で1人で練習できるのでその点は野球やサッカーなどのスポーツより練習がやりやすいと思います。
(詰将棋を解くのはサッカーで例えると、一番大事なキーパーとの1対1のシュート練習が常に1人でできるようなものだと思う)

思いついたら続きを書こうと思います。




posted by DSK会員 at 06:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

無題その1(仮)

 お久しぶりです、4回生の吉川です。何ヶ月ぶりかわからない浮上ですね。

 以前に受けた言葉について思うことがあったので少し書いてみようかなと思ってこうして駄文を書き連ねます。ご容赦ください。

 以前、ある子から「努力してもどうせ勝てないから努力しようとする気があまり起きない」という言葉を受けたました。確かに初心者であれば同じくらいの棋力と指す将棋会館などではいざ知らず、大会などで勝つ可能性というのはかなり低くなるとは思います。

 じゃあ尚更努力するのは馬鹿らしいと思うかもしれません。確かにそういう考えもあると思います。でもそれは、強くなるということを放棄したということです。

 努力をせずにそのままでいることは負けた時に「努力していなかったから」「それは知らないから」という言い訳をするためにしか過ぎません。否定するかもしれませんがまあ、9割はそういった人たちです。今いる強い人たちは全員がその言い訳を良しとせずに努力をした人たちです。たとえひとつも勝てず、悔しいと思ったりしても、少なくとも自分に出来る範囲の精一杯の努力をしたのであれば辛いかもしれませんがそれは無意味ではありません。負けたとしても堂々としてください。そして自分に出来る範囲の努力を続けてください。そういった積み重ねをしなければ必ず強くなります。
 強くなるために先輩を使うのだって構いません。「これを試したいのでこれを指してください」と言われても断りなどしません。もしかしたら、変に気を遣ったりしているのかもしれませんが、真剣に強くなりたいと思っている人の足を引っ張ろうとする人なんて少なくとも今のDSKにはいないです。強くなろうと思うのならば、自分に言い訳をせずにどうか頑張ってください。

追記
 もう4月が近いですね。もしかしたら同志社に決まり、同志社将棋研究会に入りたいと考えている人がいるかもしれません。そういった方は部室の方へ訪ねてきてもらえるととても嬉しいです。もし訪ねようと思う方がいるならば、HPの方のメアドなりTwitter経由でその旨を記して送っていただければ、おそらく対応できると思いますのでよろしくお願いします。

それでは、これにて失礼します。

posted by DSK会員 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月26日

ぽふぃん♡くらいしす

あけましておめでとうございます。3回生の辻岡です。 蒼穹から堕とされた黒闇
2016年になりました。なってしまいました。 今年も同志社将棋研究会をよろしくお願いします。 
21歳になったので私もロリ、ホワイトロリータに変身しました。ついに私の気がふれたかと思われた皆様は下記の記事をお読みください。

さて、年というものは人間の成長に関係なく必然的にとるものです。「年をとる」という言葉どおり限られた残存時間から一年また一年ともらっているということですね。特にこの4年間は大切にしなければなりません。 私は大好きな登山の途中にバテてそのまま座り込んでしまうという失態を最近おかしました。駒よりも重い物を持てなくなる病には3年前から羅患していましたが、体力ばかりなくなってそのまま衰えていっています。年月は人を老化させ醜悪なものへと退化させます。しかし、その中でも一際輝く存在があります。 聡明な皆様はもうお分かりですね? そう!ロリBB◯です!「GATE」のロウリィです!甘く蕩けさせるような声、とても齢9世紀とは思えない美貌、漆黒の装飾を身に纏った神体。願わくばホワイトロウリィも見てみたいものですね。 

さて、年度内の大会も残すところあと2つとなりました。来期にむけて、力を最大限発揮できるように準備していきましょう。 ではでは。
posted by DSK会員 at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月31日

もどかしい世界の上で

ゲスの極み漢。 3回生の辻岡です。 日本破壊協会(NHK)
年末には山に登る習慣が我が家にはあるので、淡路が峠に登ってきました。
CXhuiRWUAAAmJUF.jpg
陽の射すところ
CXhuiYxVAAAehYV.jpg
てのひらをたいように
CXhuiZbU0AAXHr3.jpg
街全体を展望
CXhvOhmU0AAe5sr.jpg
結晶 もう少しずらして撮るべきでしたか
今年も残すところあと2時間と50分ですが、たくさんの方々にお世話になった1年でした。来年もよろしくお願いします。それではよいお年を。
posted by DSK会員 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月24日

山熊座

「山熊座」
天文部は今年、天体観測を理由に深夜まで屋上で残留することが許された。
そんなクリスマスイブの深夜の屋上で、先輩が不意につぶやいた。
「山熊?なんですかそれは?」
この天文部は弱小で、在籍部員は二人しかいない。静かな屋上で、僕はそう聞き返した。
「ある地域でだけ観測される星座の名前だよ。」
先輩は淡々と答える。
「十二星座にはありませんよね。」
「うん。
先輩はそれだけ言って黙った。由来を聞いて欲しいんだうと察した僕は、先輩に聞いた。
「長くなるけど、いい?」
「いいですよ。夜は長いですから。」
先輩はゆっくりと、山熊座の由来、というより来歴を語り始めた。
「昔々、ある村は農業で成り立っていた。その集落の北には山がそびえたっていて、そこは聖なる領域として立ち入りが禁止されていた。
何十年と平安に暮らすことができていたが、ある年から急に冷害で作物の収穫が悪くなった。数年はたくわえで何とかなったが、やがてたくわえにも限界が見え始めた。困った村人はその村の神主に相談に行った。神主はしばし逡巡した後、倉庫から古い本を取り出してきた。その本には、山で採れる食材が絵付きで記されていたが、なぜか後半が破れて失われていた。神主は言った。どうしても困ったらこの本を頼りに山へ食材を取りに行け。ただし自分たちの必要以上にとってはならない。もともとあの山は神聖な場所なのだから、と。すでに限界であった村人は、屈強な若者を山に送り、食料を取ってきてもらうことを決定した。神罰への恐れから神主の取り仕切りであらかじめ儀式が行われ、その後村の若者は村に入っていった。数日後、若者たちはうさぎやイノシシなどの肉、キノコ、山菜類などたくさんの食材を持ち返ってきた。それでその年は乗り切ることができた。村人たちは神と山に感謝した。翌年も凶作であったが、同じように儀式の後山へ行くと食材を持ち帰ることができ、その年も乗り切ることができた。その次の年、ついに凶作の難は過ぎ、コメも農作物もたくさんとれて、たくわえもできるほどだった。しかし、村人たちは山へ行こうとした。」
「なぜでしょうか」
一呼吸はさむように、僕は聞いた。
「肉の味が忘れられなくなったからだ。神主は当然反対したが、村人は強硬にお願いして儀式をとりおこなわせ、若者を山に送った。しかし、若者は何日たっても帰ってこなかった。数週間後、若者たちは山の入り口で無残な姿で発見された。」
「村人は神主を責めた。神罰を避ける儀式の効果はなかったのかと。神主は、だから最初から反対しただろうと取り合わなかった。村人と神主の対立は残ったが、その年は食糧難はなく無事過ごせた。」
「・・・・・・」
僕が黙っていると、先輩が続けた。
「だがあくる年の年明け、神主が突然倒れ、そのままなくなってしまった。村人たちは互いを詮索したが、誰かが手をかけたわけではなさそうだった。神主は高齢であったので、寿命だったのだという意見が多数を占めたが、神罰ではないかと言う意見も出た。しかしその意見は無視された。そしてその年からまた、凶作が始まった。この年の凶作は前年のたくわえで乗り切れそうな程度だったので、前年度の悲劇もあり山行きは見送られた。そして次の年、またも凶作に見舞われた。山に行かなければ冬を越せないほどの凶作だった。村人は儀式を行い山へ行こうとしたが、神主に後継ぎがなかったため儀式はできなかった。仕方なく、儀式をせずに、屈強な者たちに山へ行ってもらうことにした。」
「また悲劇が」繰り返されるのではないでしょうか」
僕が口をはさむと、先輩は少し笑って、首を振った。
「山へ行った者たちは食料を持って帰ってくることができた。しかし、そこで妙な体験をしたと村人に語ったんだ」
「どんな体験ですか」
「山へ入った者たちは、山菜やキノコ採り、狩りを行っていたが、途中、熊に遭遇し、追い詰められてしまった。もはやこれまでと覚悟したその時、熊が語り始めたんだ。」
「へ?」
「村人は凶作の時のみ儀式を行い我々と交信してから山へ入る約束だったではないか。豊作の時山に入るようなことはしないと約束したではないか。だからあの時は報復を行った。今年はどうやら凶作の様だが、契約違反に変わりはない。事情を話してもらおう、と。熊を前にしておびえながらも、一人が、そんなことは聞いたことがない。神主は去年死んでしまったから儀式ができなかったのだとこわごわ説明した。熊はまた語りだした。お前たちの何代も前の祖先がそう契約したのだ。ここは山の民が住む土地であり、みだりに村人が入ることは許されない。契約を忘れたというなら、お前たちに報復を行う、と。一人はそれに答えて、神主をまた立てて次からは儀式を行います。報復だけはやめてくださいと震えながら答えた。熊はしばし沈黙したのち、「いいだろう。神主が死に後継ぎがなかったというなら、お前たちに報復をすることはやめてやろう。ただし、お前たちが村に帰ったのちに、今日あった出来事を他の村人に伝え、次神主となるものを一度この山に一人で送り込ませろ。そして山の中で、私が神主であると叫ばせろ、そうすれば彼を神主として認め、契約が更新された証としよう。そういい終わると、熊は黙って去っていった。この話を聞いた村人たちは、先代神主と血筋の近いものを次期神主として選び出し山へ送り、この契約の話を忘れないように、夜空の星々に山熊座と名前を付けたそうだ。」
僕は少し考えた後、言った。
「山の危険を伝えるためにできた神話、のようなものでしょうか?」
先輩は答えた。
「私に言われても分からないよ。ただ、都会ではなかなか星を見るのも大変だ。元村人が熊と結んだ契約を忘れてしまってはいないだろうかとは思うよ。」
僕は少し黙った後、先輩に尋ねた。
「で、今なんでこんな話を?」
先輩は長い髪をかき揚げ、月に映えるきれいな横顔をのぞかせながら、
「なんでだろうね。でも、廃部寸前の天文部に、少しでもいい話を残しておきたかった、というのはあるかな」
そのあとは、僕も先輩もしばらく黙ったまま天体観測を続けた。
空にはまだ、いくつも星がまたたいている。



ながながとお付き合いいただきありがとうございました。四回生の西塔です。某作品にインスピレーションを受けて即興で作った妄想小説的な何かです。感想、下手なもの見せるな、文句などは私個人あてにお願いします。やはり文責のために実名がないとね。
もっとかわいい女の子といちゃいちゃする妄想小説が作りたくても無理でした。それでは皆様、よいクリスマスをお迎えください。
posted by DSK会員 at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

ソラノワグマ

夕暮れの教室で先輩はそう呟いた。

何ですか、その生き物?

「生き物じゃないよ。星座。よく晴れた日の冬の夜にしか見られないの。」

 へー、天文部の先輩らしいですね。そんなマイナーな星座を知っているなんて。

「そのクマはね、もともと北の冬山で峠を越えていく旅人を襲っていたんだ。数えきれない人が犠牲になったその現状を神様は見ていられなかっただろうね。怒ってクマに天罰を下そうとしたんだ。」

 クマはどうなったんですか?

「その山の民が神様にお願いしたんだ。『どうか、私達の拠り所を奪わないでください』って。多分、侵略してくる外の人間も含めてクマが追い払っていたのだと思う。」

 旅人は犠牲になっているのに?

「よく言うじゃない、『一人殺したら犯罪者、千人虐殺したら英雄、万人葬ったら神様』。私この言葉大嫌いだけど、真理に近いと思う。」

 真理、ですか。

「神格化されたクマは天寿を全うして、やっぱり山の民が神様にお願いして、それで星座になったの。」

 クマに襲われた人たちはやりきれないでしょうね。なんたって自分たちを殺した悪魔が神になって、そのうえ蒼穹で光り輝いているんですから。

「だから神様は天罰の代わりに、星座になるクマにこう言ったんだ。『生前人を襲った報いとして、天国へ行く人を導きなさい』。クマは言うとおりにして、自分が山中で葬った人も含めて天国へ導いたんだ。」

 それで先輩はいつもあの方角の星を見ているんですね。

開けっ放しにした窓から北風がとおり抜ける。風向きの方へ長髪がゆっくりと揺れる。それがなんだかとても麗しくて僕はもう一度、この一生でもう一度だけ恋に落ちそうになった。


「今年も私の世界からいっぱいの人がいなくなっちゃった。君も相当堪えたんじゃないのかな……

……そうですね。 年の始めに歌手が、真ん中に俳優が、そして年の終わりに声優が、僕の世界からいなくなりました。

君の世界と私の世界はとても似ているから。」

寂しそうにそう笑った先輩は僕の前から今にも消えてしまいそうなほど儚かった。今目を離したら、忽然といなくなってしまうのではないか、煙のように消えてもう僕の前に現れないかもしれない。

 きっと、たぶん、ソラノワグマが導いてくれていますよ

ぎゅっと抱きしめる。僕よりも数cm高いカラダに手を回すと、それはもう抱きしめているというよりも抱きしめられているというかんじがして、なんだか気恥ずかしくなった。体が熱くなっているのはこの状況のせいではなく、さっきの月並みのセリフのせいなのだと言い聞かせて体を離そうとしたとき、先輩が僕の後頭部をそっと包み込むように抱擁してくれた。

 あ、あの

ゆっくりと首を横に振られる。この空間では沈黙こそが真理なのだと知る。先輩の心の形が分かった気になって、声も出さずに泣きながら僕と先輩は抱き合った。風になびく黒髪がいつまでも、いつまでも揺れていた。





4b199691-s.jpg


3回生の辻岡です。これはフィクションです。実在の人物や団体とは一切関係ありません。  ではでは



posted by DSK会員 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

一軍戦2日目

4回生のRです。

11/8に同志社で行われた一軍戦二日目の結果をお知らせします。
以下敬称略

vs神戸

✖千代-土肥
✖小川-名和
✖西塔-藤井
✖橋本-奥田
✖吉川(和)-池
○村上-熊本
✖吉川(庸)-皿田

1-6で負け

vs阪大

✖千代-矢野
✖小川-平尾
✖西塔-玉柏
○橋本-坪井
✖横前-定田
✖村上-藤井
✖吉川(庸)-田代


1-6で負け

一軍戦二日目は0-2となり、A級6位となりました。来年はB級からの巻き返しを狙います。

報告が遅くなり、申し訳ありませんでした。
posted by DSK会員 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月10日

一軍戦一日目

4回生のRです。

11/8に同志社で行われた一軍戦一日目の結果をお知らせします。
以下敬称略

vs京都

✖千代-青木
✖小川-草間
✖落合-村上
✖横前-林
✖吉川(和)-河合
✖村上-細川
✖松村-金谷

0-7で負け

vs立命館

✖千代-大桃
✖宇留野-川又
✖西塔-銭本
✖橋本-長森
✖深石-阿部
✖吉川(庸)-津野
✖上谷-阪田

0-7で負け

vs大経法
○小川-吉田
✖宇留野-千種
○橋本-向
✖横前-山家
✖吉川(和)-西口
○村上-池邊
✖仲谷-高橋

3-4で負け

一軍戦一日目は0-3でした。
かなり厳しい戦いが予想されますが、A級残留をかけて来週の神戸大学、大阪大学全力で頑張ります。
posted by DSK会員 at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

3びきのこえぶた

『3びきのこえぶた』
                    さく:はばとり

あるだいがくしょうぎぶに 3びきのこえぶたたちが すみついていました。
いちばんとしうえのこえぶたは なを Mやけ といい まんなかのこえぶたは Nやま さいていへんのこえぶたを はばとり といいました。
Mやけは ゲーム・アニソンかしゅの しもつきはるか さんにあうためだけに ふゆコミに いったことがあります。ですが はるかさんを ただのうりこのおねえさんと かんちがいして かいわをしてしまう というしったいをおかし がちへこみした かこがあります。
Nやまは あいどるますたーしんでれらがーるず かきんしゃで アニメばんのBDを かうかどうか なやんでいます。なお こんど ライブにいく よていです。
はばとりは このばでは せつめいするのをはばかられる ゲームがだいすきです。かりに いま じぶんがしねば せいゆうの おのりょうこ さんの こどもにうまれかわるかのうせいが びりゅうしれべるでそんざいしていると しんけんに かんがえています。

このようにかれらは おやからじりつする ふりをして しおくりをつかいこむ ひびを すごしていました。
そんなあるひ ぶたどもをきょうせいするために それぞれのもとに Oがわがおくりこまれることになりました。

Oがわは さいしょに Mやけのもとに むかいました。
げしゅくさきで きもちわるい えみをうかべながら はやみさおりのふり〜すたいる をきくことにぼっとうする Mやけのみみもとに Oがわは そっとささやきかけました。
「『はやみさおり セキレイ』で がぞうけんさく」
Mやけは たちまち ふきとばされました。

つづいて Oがわは Nやまのもとへ あしをむけました。
Nやまは ぶしつで 「あやねるぅ あやねるぅ」 と ちいさくつぶやきつつ こころをぴょんぴょんさせながら ろくがしていた アニメを みていました。
Oがわは うしろから ちかづいて やはりしずかに かたりかけます。
「さくらあやね さんは じっかぐらしと いいつづけていたのに いつのまにか ひとりぐらしを はじめていたよね。あれって どういうことだと おもう?」
Nやまは けしとばされました。

さいごに Oがわは はばとりのもとに たどりつきました。
はばとりは りょうの ふたりべやで あいかたのめいわくを かえりみずに とてもおはなしできそうにもない ゲームをプレイしていました。
「Oがわ。ぼくは せいゆうネタでは びくともしないぞ」
じしんまんまんの はばとりにむかって Oがわは しつもんを なげかけます。
「たかさきけいざいだいがくには なんてん たりずに おちたんだっけ?」
かいしん の いちげき!
すかさず とどめのいちげきを はなちます。
「まぁ きみの どうかいせいにひとり ちゃんと げんえきで たかさきけいざいだいがく にうかっているひとが いたとおもうけど」
あとかたも のこさずに はばとりはちりました。

「さぁ はやく いちぐんせんの じゅんびを するんだ」
ふくかんじちょうらしく ぶたどもの しりをたたくOがわ。ちなみに かれはかれで はやしばらめぐみ さんが けっこう おきにいりのようです。おおかみポジションかと おもったら おなじあなのぶたじゃねぇか。
このおはなしを よんだ みなさんは ぜひとも このよが がくれきしゃかいである というきょうくんを えてください。
posted by DSK会員 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月01日

よなごにて

 すべては遠き理想郷。 3回生の辻岡です。 ひとつ終わらない悲しみがぼくらを包みこんだら

 先日、鳥取砂丘に行ってきました。 メンバーはY、M、Oの4人。 

まずは新幹線で岡山まで行って、そこから車で鳥取砂丘に。
つまずきながらも、最初の数kmはビルが並ぶ街並みでしたが、そこから山、山
image.jpg
らくらくと越山すると、あたり一面の田んぼ
image.jpg
いっさい間伐されていない林もありました。 ここまで奥地にいくと、手入れができないのでしょうか。
さきに走って、昼食。 ビビン丼、焼き肉丼どちらもボリューミーでした(780円)
CTAC4XzUcAAPur7.jpgCTAC4bLUYAALbmn.jpg
ん〜今みるとこれが悪手だったのかもしれません。
  日本一人口の少ない県へ〜 砂丘に到着しました
CTADE9RUsAEzIgF.jpgCTAC4qsVEAA381I.jpg
二枚目水色の服の人は「使い捨てのクリアファイルで砂丘の坂を摩擦係数ゼロで滑るぞ!」と宣っていましたが、うんともすんとも尻に敷いたファイルが滑り出すことはなく、スベっていました。

晩御飯はもめにもめ、なんと肉の連投。重いようなきもしていましたが、同志達は若かったです。
CTADFMdVAAAxWND.jpg
帰りは濃霧の中を進軍。 靄と霧の違いって1km先が見えるか、見えないかなんですって。
CTADEhyUEAATK1C.jpg
人生初の駅弁を買いました。 車内という空間が演出してくれたすばらしいものでした。
CTAJGewUwAAOfzJ.jpg
ジャガイモダブルピース
CTAF9ruUEAAdVvs.jpg

旅は宝物です。 みなさんも是非大切な人とすごしてみてはいかがでしょうか。 


一週間後は同志社大学今出川キャンパス博遠館で一軍戦です。  5ヶ月間、各々が研鑽してきた力を出し切りましょう。


続きを読む
posted by DSK会員 at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月17日

これは替え歌ですか?

はい、はばとりです。


「干物豚(ひもうとん)!うるのちゃん」OP かくしんはん的☆ぶたまるふぉ〜ぜっ!

U・R・N! U・R・N! うりゅうぢゃないよ う・る・の!
U・R・N! U・R・N! うりゅうぢゃないよ う・る・の!

いつだって
全身全霊喰い倒せ! もっと もっと 膨らめよお腹
みんなに気付かれないように
いざ、ゆけ! 上野ライフ

お気にのうまい棒(おかし)かじり 今日も今日とてゴロゴロして
大好物の美少女(ギャル)ゲをしに パソコンとにらめっこしよう
立てば六尺座れば猪(ぼたん)歩く姿は事案モノ
誰もが忌避するBMI値
ほら攻略ググったらモンハンだ! さぁ一狩りしよう♪

いつだって
「喰う! 寝るzzz遊ぶ♪」のごくつぶし ずっと ずっと 先輩(サイフ)は友達
健診結果は厳しいけど キットカット 止まらなくなっちゃうの
ワガママ放題はひとりっこの証

U・R・N! U・R・N! うりゅうぢゃないよ う・る・の!
U・R・N! U・R・N! うりゅうぢゃないよ う・る・の!
はい、おしまいっ!

※1 やっつけです
※2 内輪ネタを大いに含む虞があります
※3 うまるちゃんとは何の関係もありません。うまるちゃんは名作です
posted by DSK会員 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月13日

自身の見つめ直し

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカの福音書:14章11節)
イエスはこの言葉の前に
「結婚式に招待された際、あなたは末席に座るべきである。上席に座り、後に身分が高い人が来た際に席を譲るというのは恥をかくことであるからだ。逆に最初から末席に座っていれば、あなたを招待した者が、上席を案内するだろう。その時、あなたは面目を施すことになる」と言われています。

 ただ、自分のことを考え、前へ前へと出ようとすれば、顰蹙を買い、自身の評価を下げることになり、、慎み深く、常に相手のことを考え、思いやることが自分のために繋がるということであり、情けは人のためならずということわざを正に示すものであります。もちろん、すべての状況でこれが当てはまるわけではありません。慇懃無礼という言葉があるよう、相手に例を尽くそうとした結果、逆に相手を不愉快にさせてしまうことも多くあります。相手の方のことを考えながら、臨機応変に対応することもしなければなりません。

 最近では、功を焦っているのか、他人を思いやらず、自分のことしか考えていない人が多いように思われます。このようなことを言葉にしている私ですが、例に漏れません。そんな私ではありますが、ただ、心の片隅で良いので、自分が今驕り高ぶっていないか、相手を見下すような態度を取っていないのかを冷静な目で見ることを心がけることの大切さについてお伝えしたいのであります。ほんの少し、自分を抑え、相手を大切にしようと心がければ、心穏やかに過ごせるでしょうから。そして、多くの場合、相手もきっとまた、心穏やかでいられるでしょうから...

 以上をもちまして、本日のお話を終わらせていただきます。ご拝読、ありがとうございました

〜あとがき〜
聖書って、心にグサグサくる言葉、結構あるんですよね。仏典は人の儚さを伝え、心穏やかにさせるものだなぁなんて思うのですが、聖書はノホホンと生きるのを許さず、生き様の反省を求めてきているような気がします。なので、自分を律そうとする人には良いのかもしれないなんて思いました(小並感)

勉強の一環で、聖書ばっかり読んでたらこんな文章書いてました。勢いって、すごいです 
by某4回生R
posted by DSK会員 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月05日

とある衛生兵への追憶

国境近く。木々もろくに生えぬ山の上に着くと、眼下には圧巻の広大なる土地が広がっている。ウラジオストクとは指呼の間である。成程、「後ろはげ山、前ソ連」とは言ったものだ。
上田悟志がソ連国境近くのこの地に着いてからいくらかの時が過ぎた。
冬場には零下20度にも達そうかという地である。尿をすれば凍りかねない。凍傷を避けるためによく振れと教えられたことを思い出した。
しかし既に冬は去り、夏を迎えている。先年に満州に配属が決まってから、1年と何か月だろうか。確か19年の1月に学校で送別会が行われたのだから……。彼はふと、背中側より海を越えて向こう、故郷の事を思い起こした。

悟志の生まれ育った地は、神戸市と言いつつも、山中の村である。川のこちら側に5隣保、60軒あるかないかといった具合である。
戦争の続く昭和18年、彼は徴兵検査を受け、第一乙種として徴用されることとなった。
この時悟志は村唯一の海外への出征者であり、周囲は彼をほめそやした。
しかしひとり、これに反対したものがいた。彼の母である。
実は先立つ昭和13年、悟志の兄が中国北部に戦死していた。兄は地域の第一戦死者となった。
「私は兄を死なせたから、せめて悟志は内地に置いといてくれ。陸軍大臣にそう言いに行く」
息巻いた母を説得するのは大変だった。「天皇陛下の為」という文言のもと、戦死が名誉とされた時代である。

悟志は苦笑交じりに意識を引き戻した。
陸軍病院に戻ってきた。彼の任地である。南満州で最大の病院だった。
彼は、中佐である病院長の当番兵、つまるところ使い走りであった。当番兵は外出が認められていた。
また教育上等兵となった彼は、同時に院内の嫌われ者でもあった。何せ軍隊の教育とは私的制裁を伴うものである。女性であっても例外とは言えない。看護婦の担当となれば、彼女らのほほをつねったものである。
戦争激化により、それまで満州にあった300万と号する兵隊も、次々と南方に送られた。後背のソ連とは不可侵条約が締結されていたからである。病院だけはこの地に残っていた。
その南方では、日本軍の戦況が刻々と悪化していることを、彼らは知らされなかった。そして内地では新型の爆弾が投下されたらしいことは知ったが、一体如何程の事態かは理解しきれなかった。

そんな満州の平穏は、突如終わりを告げた。
8月9日、ソ連侵攻。
昨日までの味方が、敵となってなだれ込んできた。陸軍兵士は殆ど残されていない。
兵隊には天皇陛下の為、最後の一人まで戦うように告げられた。一方、傷病兵は列車で朝鮮を経由し、内地へ運ぶことなった。悟志はこれに付き従って病院を引き払った。

……後に知ったことだ。列車に乗せることもままならないような危篤患者らがいた。彼らに対しては注射が施された。注入された液体は推して知るべしである。

動乱の中、20日ごろに彼らは敗戦を知った。
患者を内地に送る際に、兵士・看護婦も帰れるのではないか。悟志はそう思った。しかしその思いは打ち砕かれる。
――「日本兵は帰さない」 彼らは朝鮮に入ることがかなわなかった。
やむを得ず満州鴨緑江に病院を開き、ここでしばらく休息するように命じられた。
だが安息は束の間とて訪れない。以下の言が下る。
「看護婦は病院でやっていけるだろう。お前たち兵隊については、自由にしろ」
事実上の解散宣言である。彼はついに軍から見放され、身一つで放り出される格好となったのだ。
悟志は数日の逃亡の末、蘇家屯駅(現建寧省瀋陽市蘇家屯区)の駅長宅に駆け込んだ。この間水以外を口に入れた記憶がない。やっとの思いでたどりついたのだった。
土下座をし、「給料は要らないから、飯だけ食わせてくれ」と頼み込む。軍服姿の彼を見ながら、駅長は返答する。
「逃げた兵隊を使っているのがばれたら、わしは命がいくらあっても足りない」
当然である。駅長とてわざわざ死の危険を好き好んで招き入れはしない。懇願も聞き入れられないのか――

その時、救いの手が差し伸べられた。「わしの息子として、住んでいい」
言葉を発したのは、駅の助役で飯山という男だった。悟志はようやく仏に巡り合えた気分だった。

飯山は悟志を伴って社宅に戻った。飯山を迎えた妻は、思いもよらぬ手土産に仰天した。「逃亡兵を連れてくるなんて」
やはり許されないのか。突然空腹が存在感を膨らませる。食べるものも残っていない。自殺するしかないのだろうか。
絶望を再び突きつけられた悟志を横目に、飯山は妻をゆっくりと諭した。
「我々も内地に必ず帰れるわけではない。まずは一か月でも暮らそう」
飯山の家で、悟志は初めて軍服を脱ぐことが出来た。安堵からだろう、そこで恩人である夫婦に振舞われた飯の美味いこと美味いこと……。
それから飯山は、濁ったどぶ酒と、できる限りの御馳走を用意して、隣保を集めた。
「悟志はわしが芸者に産ませた子だ。恥ずかしいから北満の開拓団へやっていたが、敗戦で解体となったから引き取った。よくしてやってくれ」
そう語り、宴席の出席者に頭を下げて回った。

山梨出身だと言う飯山夫妻には子がなかった。
肌身離さず持っていた、母から渡された品々。「上田悟志」と書かれていたそれらを焼き捨てた。飯山は悟志に身分証明書を授けてくれた。そこには「飯山悟志」と書かれていた。
彼は飯山悟志として生きることを決意したのだ。

飯山の友人に頼んで、機関車仕事に携わることとなった。
始めは機関車の掃除をしていたが、火床に燃料をくべる仕事をするようになった。シャベルの扱いが機関士の間で評判となり、これに飯山は喜んだ。「チャンチュウを呑もう」と、濁り酒を片手に悟志を褒めた。
またある時は社宅のそばで鉄板焼きの屋台を開いた。
内地でも滅多に手に入らない鰹節を購入し、削り節を屋台に置いて言うのだ。
「うちのが美味い理由は"これ”だ」と。
無論このような高級品用いるわけはなく、かしわのガラを焚いて汁にした。
人気が出た結果、機関車の仕事を休まなければ、というほどに客が来るようになった。

彼らは皆、生きて日本に帰れると思ってはいなかった。悟志自身もよく、「どうせ満州に骨をうずめる。今日は美味いものでも食おう」という気分になった。
これからも飯山夫婦の子としてこの地で生きる。それは夫婦にも、悟志にも共通していた考えであった。

そんなある時、彼らに日本への帰還が認められた。
日本に帰ることが出来る。悟志は夫妻と共に喜び、そして帰国の途に就いた。
貨物船に乗り込み、日本海を渡る。敗戦より幾星霜、悟志は祖国の土を踏んだ。
故郷に戻る悟志は、山梨に帰る夫妻と別れることとなった。悟志は、いずれ夫妻の住む村へ行くことを二人に誓った。

結局彼の住む村では、この戦争により25名の戦死者を出した。しかし彼にとってより重大であったのは、自身のおらぬ間に悟志と、同郷の女性の間で婚約がなされていたことだった。
これに飯山夫婦は反発、悟志は板挟みで苦しむこととなった。半年をこの村で、もう半年を山梨で暮らす案を考えもした。しかしこの問題は図らずも解消されることとなった。

悟志がたどり着いた場所は、自分の村にも引けを取らぬ山村だった。ひっそりとした山間の村の中、やはりひっそりと建っていた墓に、彼は静かに手を合わせる。
山梨に戻った夫妻はしばらくして、相次いで亡くなったのだった。

このこともあり、昭和22年3月、悟志は婚約者の女性と結婚することとなった。
彼は多くの子・孫、更には曾孫に恵まれて現在も故郷の地で暮らしている。


「また長話になってしまったな」 M宅さんはそう言って一息入れてから、また話し出します。
もう戦後70年。年月は祖父の記憶も容赦なく風化させてしまった。多分途中で気づいたと思うけど、命の恩人である夫婦だって、名字は出てきても二人の名前が出てこないんだ。一度行ったはずの、夫婦の住んでいた場所も分からない。
本当は風化させたままの方がよかったのかもしれない。祖父の周囲の人間は、戦争時のこの話を快く思っていない節がある。でもそれは責められることじゃない。彼らは戦後すぐの大変な時代を生きてきた。そんな彼らにとって、原因である戦争の話は、実に暗い、知りたくもない話なんじゃないかな。
それに祖父自身だってそう。この話を聞き取るに当たり、「自分のことについて記したいと思っていたんだ」と祖父は言っていたけど、もしそうなら、断片的にでも記録を残しているはずなんだ。
だとしたら、私がこうやって祖父の記憶を掘り起こそうとするのは間違いなのかもしれない。
「でもやっぱりね」M宅さんは続けます。
お酒を呑んで酔いが回った時、祖父は決まってこの時のことをこぼすんだ。やっぱり誰かに聞いてもらいたいんだよ。だからこれが、一緒にお酒を呑んであげられない孫の、数少ない孝行なんじゃないか、と思ってね。

それじゃあ宇留野君、これで私の話は終わり。ちょっとは時間つぶしになったかな。
そう言って締めくくりました。
(話中の人名は仮名です。また、M宅さんのお祖父さんの記憶に基づくため、間違いがある可能性があります)


posted by DSK会員 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月19日

夏バテ注意

 お久しぶりです、4回の吉川です。早いもので、あと半年ほどで卒業(予定)となりました。大学4年間、勉強にも将棋にも中途半端だったなぁと、いつものことながら後悔の日々を過ごしています。
夏休みはあと一月と半分ほどありますが、一瞬で過ぎ去ると思います。やりたいこと、やらなくてはならないこともしっかりと行って、後悔の無いようにお過ごし下さい。

 9月の中頃から11月にかけての二ヶ月間は新人戦→個人戦→一軍戦と将棋関係の行事はめっちゃ詰められています。今の時期から準備しとくのがオススメです。なお、私は将棋をここ2ヶ月ほどロクにしていないため、棋力が著しく下降しており、継続は力という言葉は正しいのだと思い知らされています。これを見て、「じゃあやっとこうかな」と少しでも思って下さればそれ幸いです。

雑文なのをお許し下さい。

ではご機嫌よう。

posted by DSK会員 at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。