2015年12月24日

山熊座

「山熊座」
天文部は今年、天体観測を理由に深夜まで屋上で残留することが許された。
そんなクリスマスイブの深夜の屋上で、先輩が不意につぶやいた。
「山熊?なんですかそれは?」
この天文部は弱小で、在籍部員は二人しかいない。静かな屋上で、僕はそう聞き返した。
「ある地域でだけ観測される星座の名前だよ。」
先輩は淡々と答える。
「十二星座にはありませんよね。」
「うん。
先輩はそれだけ言って黙った。由来を聞いて欲しいんだうと察した僕は、先輩に聞いた。
「長くなるけど、いい?」
「いいですよ。夜は長いですから。」
先輩はゆっくりと、山熊座の由来、というより来歴を語り始めた。
「昔々、ある村は農業で成り立っていた。その集落の北には山がそびえたっていて、そこは聖なる領域として立ち入りが禁止されていた。
何十年と平安に暮らすことができていたが、ある年から急に冷害で作物の収穫が悪くなった。数年はたくわえで何とかなったが、やがてたくわえにも限界が見え始めた。困った村人はその村の神主に相談に行った。神主はしばし逡巡した後、倉庫から古い本を取り出してきた。その本には、山で採れる食材が絵付きで記されていたが、なぜか後半が破れて失われていた。神主は言った。どうしても困ったらこの本を頼りに山へ食材を取りに行け。ただし自分たちの必要以上にとってはならない。もともとあの山は神聖な場所なのだから、と。すでに限界であった村人は、屈強な若者を山に送り、食料を取ってきてもらうことを決定した。神罰への恐れから神主の取り仕切りであらかじめ儀式が行われ、その後村の若者は村に入っていった。数日後、若者たちはうさぎやイノシシなどの肉、キノコ、山菜類などたくさんの食材を持ち返ってきた。それでその年は乗り切ることができた。村人たちは神と山に感謝した。翌年も凶作であったが、同じように儀式の後山へ行くと食材を持ち帰ることができ、その年も乗り切ることができた。その次の年、ついに凶作の難は過ぎ、コメも農作物もたくさんとれて、たくわえもできるほどだった。しかし、村人たちは山へ行こうとした。」
「なぜでしょうか」
一呼吸はさむように、僕は聞いた。
「肉の味が忘れられなくなったからだ。神主は当然反対したが、村人は強硬にお願いして儀式をとりおこなわせ、若者を山に送った。しかし、若者は何日たっても帰ってこなかった。数週間後、若者たちは山の入り口で無残な姿で発見された。」
「村人は神主を責めた。神罰を避ける儀式の効果はなかったのかと。神主は、だから最初から反対しただろうと取り合わなかった。村人と神主の対立は残ったが、その年は食糧難はなく無事過ごせた。」
「・・・・・・」
僕が黙っていると、先輩が続けた。
「だがあくる年の年明け、神主が突然倒れ、そのままなくなってしまった。村人たちは互いを詮索したが、誰かが手をかけたわけではなさそうだった。神主は高齢であったので、寿命だったのだという意見が多数を占めたが、神罰ではないかと言う意見も出た。しかしその意見は無視された。そしてその年からまた、凶作が始まった。この年の凶作は前年のたくわえで乗り切れそうな程度だったので、前年度の悲劇もあり山行きは見送られた。そして次の年、またも凶作に見舞われた。山に行かなければ冬を越せないほどの凶作だった。村人は儀式を行い山へ行こうとしたが、神主に後継ぎがなかったため儀式はできなかった。仕方なく、儀式をせずに、屈強な者たちに山へ行ってもらうことにした。」
「また悲劇が」繰り返されるのではないでしょうか」
僕が口をはさむと、先輩は少し笑って、首を振った。
「山へ行った者たちは食料を持って帰ってくることができた。しかし、そこで妙な体験をしたと村人に語ったんだ」
「どんな体験ですか」
「山へ入った者たちは、山菜やキノコ採り、狩りを行っていたが、途中、熊に遭遇し、追い詰められてしまった。もはやこれまでと覚悟したその時、熊が語り始めたんだ。」
「へ?」
「村人は凶作の時のみ儀式を行い我々と交信してから山へ入る約束だったではないか。豊作の時山に入るようなことはしないと約束したではないか。だからあの時は報復を行った。今年はどうやら凶作の様だが、契約違反に変わりはない。事情を話してもらおう、と。熊を前にしておびえながらも、一人が、そんなことは聞いたことがない。神主は去年死んでしまったから儀式ができなかったのだとこわごわ説明した。熊はまた語りだした。お前たちの何代も前の祖先がそう契約したのだ。ここは山の民が住む土地であり、みだりに村人が入ることは許されない。契約を忘れたというなら、お前たちに報復を行う、と。一人はそれに答えて、神主をまた立てて次からは儀式を行います。報復だけはやめてくださいと震えながら答えた。熊はしばし沈黙したのち、「いいだろう。神主が死に後継ぎがなかったというなら、お前たちに報復をすることはやめてやろう。ただし、お前たちが村に帰ったのちに、今日あった出来事を他の村人に伝え、次神主となるものを一度この山に一人で送り込ませろ。そして山の中で、私が神主であると叫ばせろ、そうすれば彼を神主として認め、契約が更新された証としよう。そういい終わると、熊は黙って去っていった。この話を聞いた村人たちは、先代神主と血筋の近いものを次期神主として選び出し山へ送り、この契約の話を忘れないように、夜空の星々に山熊座と名前を付けたそうだ。」
僕は少し考えた後、言った。
「山の危険を伝えるためにできた神話、のようなものでしょうか?」
先輩は答えた。
「私に言われても分からないよ。ただ、都会ではなかなか星を見るのも大変だ。元村人が熊と結んだ契約を忘れてしまってはいないだろうかとは思うよ。」
僕は少し黙った後、先輩に尋ねた。
「で、今なんでこんな話を?」
先輩は長い髪をかき揚げ、月に映えるきれいな横顔をのぞかせながら、
「なんでだろうね。でも、廃部寸前の天文部に、少しでもいい話を残しておきたかった、というのはあるかな」
そのあとは、僕も先輩もしばらく黙ったまま天体観測を続けた。
空にはまだ、いくつも星がまたたいている。



ながながとお付き合いいただきありがとうございました。四回生の西塔です。某作品にインスピレーションを受けて即興で作った妄想小説的な何かです。感想、下手なもの見せるな、文句などは私個人あてにお願いします。やはり文責のために実名がないとね。
もっとかわいい女の子といちゃいちゃする妄想小説が作りたくても無理でした。それでは皆様、よいクリスマスをお迎えください。
posted by DSK会員 at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

ソラノワグマ

夕暮れの教室で先輩はそう呟いた。

何ですか、その生き物?

「生き物じゃないよ。星座。よく晴れた日の冬の夜にしか見られないの。」

 へー、天文部の先輩らしいですね。そんなマイナーな星座を知っているなんて。

「そのクマはね、もともと北の冬山で峠を越えていく旅人を襲っていたんだ。数えきれない人が犠牲になったその現状を神様は見ていられなかっただろうね。怒ってクマに天罰を下そうとしたんだ。」

 クマはどうなったんですか?

「その山の民が神様にお願いしたんだ。『どうか、私達の拠り所を奪わないでください』って。多分、侵略してくる外の人間も含めてクマが追い払っていたのだと思う。」

 旅人は犠牲になっているのに?

「よく言うじゃない、『一人殺したら犯罪者、千人虐殺したら英雄、万人葬ったら神様』。私この言葉大嫌いだけど、真理に近いと思う。」

 真理、ですか。

「神格化されたクマは天寿を全うして、やっぱり山の民が神様にお願いして、それで星座になったの。」

 クマに襲われた人たちはやりきれないでしょうね。なんたって自分たちを殺した悪魔が神になって、そのうえ蒼穹で光り輝いているんですから。

「だから神様は天罰の代わりに、星座になるクマにこう言ったんだ。『生前人を襲った報いとして、天国へ行く人を導きなさい』。クマは言うとおりにして、自分が山中で葬った人も含めて天国へ導いたんだ。」

 それで先輩はいつもあの方角の星を見ているんですね。

開けっ放しにした窓から北風がとおり抜ける。風向きの方へ長髪がゆっくりと揺れる。それがなんだかとても麗しくて僕はもう一度、この一生でもう一度だけ恋に落ちそうになった。


「今年も私の世界からいっぱいの人がいなくなっちゃった。君も相当堪えたんじゃないのかな……

……そうですね。 年の始めに歌手が、真ん中に俳優が、そして年の終わりに声優が、僕の世界からいなくなりました。

君の世界と私の世界はとても似ているから。」

寂しそうにそう笑った先輩は僕の前から今にも消えてしまいそうなほど儚かった。今目を離したら、忽然といなくなってしまうのではないか、煙のように消えてもう僕の前に現れないかもしれない。

 きっと、たぶん、ソラノワグマが導いてくれていますよ

ぎゅっと抱きしめる。僕よりも数cm高いカラダに手を回すと、それはもう抱きしめているというよりも抱きしめられているというかんじがして、なんだか気恥ずかしくなった。体が熱くなっているのはこの状況のせいではなく、さっきの月並みのセリフのせいなのだと言い聞かせて体を離そうとしたとき、先輩が僕の後頭部をそっと包み込むように抱擁してくれた。

 あ、あの

ゆっくりと首を横に振られる。この空間では沈黙こそが真理なのだと知る。先輩の心の形が分かった気になって、声も出さずに泣きながら僕と先輩は抱き合った。風になびく黒髪がいつまでも、いつまでも揺れていた。





4b199691-s.jpg


3回生の辻岡です。これはフィクションです。実在の人物や団体とは一切関係ありません。  ではでは



posted by DSK会員 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

一軍戦2日目

4回生のRです。

11/8に同志社で行われた一軍戦二日目の結果をお知らせします。
以下敬称略

vs神戸

✖千代-土肥
✖小川-名和
✖西塔-藤井
✖橋本-奥田
✖吉川(和)-池
○村上-熊本
✖吉川(庸)-皿田

1-6で負け

vs阪大

✖千代-矢野
✖小川-平尾
✖西塔-玉柏
○橋本-坪井
✖横前-定田
✖村上-藤井
✖吉川(庸)-田代


1-6で負け

一軍戦二日目は0-2となり、A級6位となりました。来年はB級からの巻き返しを狙います。

報告が遅くなり、申し訳ありませんでした。
posted by DSK会員 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月10日

一軍戦一日目

4回生のRです。

11/8に同志社で行われた一軍戦一日目の結果をお知らせします。
以下敬称略

vs京都

✖千代-青木
✖小川-草間
✖落合-村上
✖横前-林
✖吉川(和)-河合
✖村上-細川
✖松村-金谷

0-7で負け

vs立命館

✖千代-大桃
✖宇留野-川又
✖西塔-銭本
✖橋本-長森
✖深石-阿部
✖吉川(庸)-津野
✖上谷-阪田

0-7で負け

vs大経法
○小川-吉田
✖宇留野-千種
○橋本-向
✖横前-山家
✖吉川(和)-西口
○村上-池邊
✖仲谷-高橋

3-4で負け

一軍戦一日目は0-3でした。
かなり厳しい戦いが予想されますが、A級残留をかけて来週の神戸大学、大阪大学全力で頑張ります。
posted by DSK会員 at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

3びきのこえぶた

『3びきのこえぶた』
                    さく:はばとり

あるだいがくしょうぎぶに 3びきのこえぶたたちが すみついていました。
いちばんとしうえのこえぶたは なを Mやけ といい まんなかのこえぶたは Nやま さいていへんのこえぶたを はばとり といいました。
Mやけは ゲーム・アニソンかしゅの しもつきはるか さんにあうためだけに ふゆコミに いったことがあります。ですが はるかさんを ただのうりこのおねえさんと かんちがいして かいわをしてしまう というしったいをおかし がちへこみした かこがあります。
Nやまは あいどるますたーしんでれらがーるず かきんしゃで アニメばんのBDを かうかどうか なやんでいます。なお こんど ライブにいく よていです。
はばとりは このばでは せつめいするのをはばかられる ゲームがだいすきです。かりに いま じぶんがしねば せいゆうの おのりょうこ さんの こどもにうまれかわるかのうせいが びりゅうしれべるでそんざいしていると しんけんに かんがえています。

このようにかれらは おやからじりつする ふりをして しおくりをつかいこむ ひびを すごしていました。
そんなあるひ ぶたどもをきょうせいするために それぞれのもとに Oがわがおくりこまれることになりました。

Oがわは さいしょに Mやけのもとに むかいました。
げしゅくさきで きもちわるい えみをうかべながら はやみさおりのふり〜すたいる をきくことにぼっとうする Mやけのみみもとに Oがわは そっとささやきかけました。
「『はやみさおり セキレイ』で がぞうけんさく」
Mやけは たちまち ふきとばされました。

つづいて Oがわは Nやまのもとへ あしをむけました。
Nやまは ぶしつで 「あやねるぅ あやねるぅ」 と ちいさくつぶやきつつ こころをぴょんぴょんさせながら ろくがしていた アニメを みていました。
Oがわは うしろから ちかづいて やはりしずかに かたりかけます。
「さくらあやね さんは じっかぐらしと いいつづけていたのに いつのまにか ひとりぐらしを はじめていたよね。あれって どういうことだと おもう?」
Nやまは けしとばされました。

さいごに Oがわは はばとりのもとに たどりつきました。
はばとりは りょうの ふたりべやで あいかたのめいわくを かえりみずに とてもおはなしできそうにもない ゲームをプレイしていました。
「Oがわ。ぼくは せいゆうネタでは びくともしないぞ」
じしんまんまんの はばとりにむかって Oがわは しつもんを なげかけます。
「たかさきけいざいだいがくには なんてん たりずに おちたんだっけ?」
かいしん の いちげき!
すかさず とどめのいちげきを はなちます。
「まぁ きみの どうかいせいにひとり ちゃんと げんえきで たかさきけいざいだいがく にうかっているひとが いたとおもうけど」
あとかたも のこさずに はばとりはちりました。

「さぁ はやく いちぐんせんの じゅんびを するんだ」
ふくかんじちょうらしく ぶたどもの しりをたたくOがわ。ちなみに かれはかれで はやしばらめぐみ さんが けっこう おきにいりのようです。おおかみポジションかと おもったら おなじあなのぶたじゃねぇか。
このおはなしを よんだ みなさんは ぜひとも このよが がくれきしゃかいである というきょうくんを えてください。
posted by DSK会員 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月01日

よなごにて

 すべては遠き理想郷。 3回生の辻岡です。 ひとつ終わらない悲しみがぼくらを包みこんだら

 先日、鳥取砂丘に行ってきました。 メンバーはY、M、Oの4人。 

まずは新幹線で岡山まで行って、そこから車で鳥取砂丘に。
つまずきながらも、最初の数kmはビルが並ぶ街並みでしたが、そこから山、山
image.jpg
らくらくと越山すると、あたり一面の田んぼ
image.jpg
いっさい間伐されていない林もありました。 ここまで奥地にいくと、手入れができないのでしょうか。
さきに走って、昼食。 ビビン丼、焼き肉丼どちらもボリューミーでした(780円)
CTAC4XzUcAAPur7.jpgCTAC4bLUYAALbmn.jpg
ん〜今みるとこれが悪手だったのかもしれません。
  日本一人口の少ない県へ〜 砂丘に到着しました
CTADE9RUsAEzIgF.jpgCTAC4qsVEAA381I.jpg
二枚目水色の服の人は「使い捨てのクリアファイルで砂丘の坂を摩擦係数ゼロで滑るぞ!」と宣っていましたが、うんともすんとも尻に敷いたファイルが滑り出すことはなく、スベっていました。

晩御飯はもめにもめ、なんと肉の連投。重いようなきもしていましたが、同志達は若かったです。
CTADFMdVAAAxWND.jpg
帰りは濃霧の中を進軍。 靄と霧の違いって1km先が見えるか、見えないかなんですって。
CTADEhyUEAATK1C.jpg
人生初の駅弁を買いました。 車内という空間が演出してくれたすばらしいものでした。
CTAJGewUwAAOfzJ.jpg
ジャガイモダブルピース
CTAF9ruUEAAdVvs.jpg

旅は宝物です。 みなさんも是非大切な人とすごしてみてはいかがでしょうか。 


一週間後は同志社大学今出川キャンパス博遠館で一軍戦です。  5ヶ月間、各々が研鑽してきた力を出し切りましょう。


続きを読む
posted by DSK会員 at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月17日

これは替え歌ですか?

はい、はばとりです。


「干物豚(ひもうとん)!うるのちゃん」OP かくしんはん的☆ぶたまるふぉ〜ぜっ!

U・R・N! U・R・N! うりゅうぢゃないよ う・る・の!
U・R・N! U・R・N! うりゅうぢゃないよ う・る・の!

いつだって
全身全霊喰い倒せ! もっと もっと 膨らめよお腹
みんなに気付かれないように
いざ、ゆけ! 上野ライフ

お気にのうまい棒(おかし)かじり 今日も今日とてゴロゴロして
大好物の美少女(ギャル)ゲをしに パソコンとにらめっこしよう
立てば六尺座れば猪(ぼたん)歩く姿は事案モノ
誰もが忌避するBMI値
ほら攻略ググったらモンハンだ! さぁ一狩りしよう♪

いつだって
「喰う! 寝るzzz遊ぶ♪」のごくつぶし ずっと ずっと 先輩(サイフ)は友達
健診結果は厳しいけど キットカット 止まらなくなっちゃうの
ワガママ放題はひとりっこの証

U・R・N! U・R・N! うりゅうぢゃないよ う・る・の!
U・R・N! U・R・N! うりゅうぢゃないよ う・る・の!
はい、おしまいっ!

※1 やっつけです
※2 内輪ネタを大いに含む虞があります
※3 うまるちゃんとは何の関係もありません。うまるちゃんは名作です
posted by DSK会員 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月13日

自身の見つめ直し

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカの福音書:14章11節)
イエスはこの言葉の前に
「結婚式に招待された際、あなたは末席に座るべきである。上席に座り、後に身分が高い人が来た際に席を譲るというのは恥をかくことであるからだ。逆に最初から末席に座っていれば、あなたを招待した者が、上席を案内するだろう。その時、あなたは面目を施すことになる」と言われています。

 ただ、自分のことを考え、前へ前へと出ようとすれば、顰蹙を買い、自身の評価を下げることになり、、慎み深く、常に相手のことを考え、思いやることが自分のために繋がるということであり、情けは人のためならずということわざを正に示すものであります。もちろん、すべての状況でこれが当てはまるわけではありません。慇懃無礼という言葉があるよう、相手に例を尽くそうとした結果、逆に相手を不愉快にさせてしまうことも多くあります。相手の方のことを考えながら、臨機応変に対応することもしなければなりません。

 最近では、功を焦っているのか、他人を思いやらず、自分のことしか考えていない人が多いように思われます。このようなことを言葉にしている私ですが、例に漏れません。そんな私ではありますが、ただ、心の片隅で良いので、自分が今驕り高ぶっていないか、相手を見下すような態度を取っていないのかを冷静な目で見ることを心がけることの大切さについてお伝えしたいのであります。ほんの少し、自分を抑え、相手を大切にしようと心がければ、心穏やかに過ごせるでしょうから。そして、多くの場合、相手もきっとまた、心穏やかでいられるでしょうから...

 以上をもちまして、本日のお話を終わらせていただきます。ご拝読、ありがとうございました

〜あとがき〜
聖書って、心にグサグサくる言葉、結構あるんですよね。仏典は人の儚さを伝え、心穏やかにさせるものだなぁなんて思うのですが、聖書はノホホンと生きるのを許さず、生き様の反省を求めてきているような気がします。なので、自分を律そうとする人には良いのかもしれないなんて思いました(小並感)

勉強の一環で、聖書ばっかり読んでたらこんな文章書いてました。勢いって、すごいです 
by某4回生R
posted by DSK会員 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月05日

とある衛生兵への追憶

国境近く。木々もろくに生えぬ山の上に着くと、眼下には圧巻の広大なる土地が広がっている。ウラジオストクとは指呼の間である。成程、「後ろはげ山、前ソ連」とは言ったものだ。
上田悟志がソ連国境近くのこの地に着いてからいくらかの時が過ぎた。
冬場には零下20度にも達そうかという地である。尿をすれば凍りかねない。凍傷を避けるためによく振れと教えられたことを思い出した。
しかし既に冬は去り、夏を迎えている。先年に満州に配属が決まってから、1年と何か月だろうか。確か19年の1月に学校で送別会が行われたのだから……。彼はふと、背中側より海を越えて向こう、故郷の事を思い起こした。

悟志の生まれ育った地は、神戸市と言いつつも、山中の村である。川のこちら側に5隣保、60軒あるかないかといった具合である。
戦争の続く昭和18年、彼は徴兵検査を受け、第一乙種として徴用されることとなった。
この時悟志は村唯一の海外への出征者であり、周囲は彼をほめそやした。
しかしひとり、これに反対したものがいた。彼の母である。
実は先立つ昭和13年、悟志の兄が中国北部に戦死していた。兄は地域の第一戦死者となった。
「私は兄を死なせたから、せめて悟志は内地に置いといてくれ。陸軍大臣にそう言いに行く」
息巻いた母を説得するのは大変だった。「天皇陛下の為」という文言のもと、戦死が名誉とされた時代である。

悟志は苦笑交じりに意識を引き戻した。
陸軍病院に戻ってきた。彼の任地である。南満州で最大の病院だった。
彼は、中佐である病院長の当番兵、つまるところ使い走りであった。当番兵は外出が認められていた。
また教育上等兵となった彼は、同時に院内の嫌われ者でもあった。何せ軍隊の教育とは私的制裁を伴うものである。女性であっても例外とは言えない。看護婦の担当となれば、彼女らのほほをつねったものである。
戦争激化により、それまで満州にあった300万と号する兵隊も、次々と南方に送られた。後背のソ連とは不可侵条約が締結されていたからである。病院だけはこの地に残っていた。
その南方では、日本軍の戦況が刻々と悪化していることを、彼らは知らされなかった。そして内地では新型の爆弾が投下されたらしいことは知ったが、一体如何程の事態かは理解しきれなかった。

そんな満州の平穏は、突如終わりを告げた。
8月9日、ソ連侵攻。
昨日までの味方が、敵となってなだれ込んできた。陸軍兵士は殆ど残されていない。
兵隊には天皇陛下の為、最後の一人まで戦うように告げられた。一方、傷病兵は列車で朝鮮を経由し、内地へ運ぶことなった。悟志はこれに付き従って病院を引き払った。

……後に知ったことだ。列車に乗せることもままならないような危篤患者らがいた。彼らに対しては注射が施された。注入された液体は推して知るべしである。

動乱の中、20日ごろに彼らは敗戦を知った。
患者を内地に送る際に、兵士・看護婦も帰れるのではないか。悟志はそう思った。しかしその思いは打ち砕かれる。
――「日本兵は帰さない」 彼らは朝鮮に入ることがかなわなかった。
やむを得ず満州鴨緑江に病院を開き、ここでしばらく休息するように命じられた。
だが安息は束の間とて訪れない。以下の言が下る。
「看護婦は病院でやっていけるだろう。お前たち兵隊については、自由にしろ」
事実上の解散宣言である。彼はついに軍から見放され、身一つで放り出される格好となったのだ。
悟志は数日の逃亡の末、蘇家屯駅(現建寧省瀋陽市蘇家屯区)の駅長宅に駆け込んだ。この間水以外を口に入れた記憶がない。やっとの思いでたどりついたのだった。
土下座をし、「給料は要らないから、飯だけ食わせてくれ」と頼み込む。軍服姿の彼を見ながら、駅長は返答する。
「逃げた兵隊を使っているのがばれたら、わしは命がいくらあっても足りない」
当然である。駅長とてわざわざ死の危険を好き好んで招き入れはしない。懇願も聞き入れられないのか――

その時、救いの手が差し伸べられた。「わしの息子として、住んでいい」
言葉を発したのは、駅の助役で飯山という男だった。悟志はようやく仏に巡り合えた気分だった。

飯山は悟志を伴って社宅に戻った。飯山を迎えた妻は、思いもよらぬ手土産に仰天した。「逃亡兵を連れてくるなんて」
やはり許されないのか。突然空腹が存在感を膨らませる。食べるものも残っていない。自殺するしかないのだろうか。
絶望を再び突きつけられた悟志を横目に、飯山は妻をゆっくりと諭した。
「我々も内地に必ず帰れるわけではない。まずは一か月でも暮らそう」
飯山の家で、悟志は初めて軍服を脱ぐことが出来た。安堵からだろう、そこで恩人である夫婦に振舞われた飯の美味いこと美味いこと……。
それから飯山は、濁ったどぶ酒と、できる限りの御馳走を用意して、隣保を集めた。
「悟志はわしが芸者に産ませた子だ。恥ずかしいから北満の開拓団へやっていたが、敗戦で解体となったから引き取った。よくしてやってくれ」
そう語り、宴席の出席者に頭を下げて回った。

山梨出身だと言う飯山夫妻には子がなかった。
肌身離さず持っていた、母から渡された品々。「上田悟志」と書かれていたそれらを焼き捨てた。飯山は悟志に身分証明書を授けてくれた。そこには「飯山悟志」と書かれていた。
彼は飯山悟志として生きることを決意したのだ。

飯山の友人に頼んで、機関車仕事に携わることとなった。
始めは機関車の掃除をしていたが、火床に燃料をくべる仕事をするようになった。シャベルの扱いが機関士の間で評判となり、これに飯山は喜んだ。「チャンチュウを呑もう」と、濁り酒を片手に悟志を褒めた。
またある時は社宅のそばで鉄板焼きの屋台を開いた。
内地でも滅多に手に入らない鰹節を購入し、削り節を屋台に置いて言うのだ。
「うちのが美味い理由は"これ”だ」と。
無論このような高級品用いるわけはなく、かしわのガラを焚いて汁にした。
人気が出た結果、機関車の仕事を休まなければ、というほどに客が来るようになった。

彼らは皆、生きて日本に帰れると思ってはいなかった。悟志自身もよく、「どうせ満州に骨をうずめる。今日は美味いものでも食おう」という気分になった。
これからも飯山夫婦の子としてこの地で生きる。それは夫婦にも、悟志にも共通していた考えであった。

そんなある時、彼らに日本への帰還が認められた。
日本に帰ることが出来る。悟志は夫妻と共に喜び、そして帰国の途に就いた。
貨物船に乗り込み、日本海を渡る。敗戦より幾星霜、悟志は祖国の土を踏んだ。
故郷に戻る悟志は、山梨に帰る夫妻と別れることとなった。悟志は、いずれ夫妻の住む村へ行くことを二人に誓った。

結局彼の住む村では、この戦争により25名の戦死者を出した。しかし彼にとってより重大であったのは、自身のおらぬ間に悟志と、同郷の女性の間で婚約がなされていたことだった。
これに飯山夫婦は反発、悟志は板挟みで苦しむこととなった。半年をこの村で、もう半年を山梨で暮らす案を考えもした。しかしこの問題は図らずも解消されることとなった。

悟志がたどり着いた場所は、自分の村にも引けを取らぬ山村だった。ひっそりとした山間の村の中、やはりひっそりと建っていた墓に、彼は静かに手を合わせる。
山梨に戻った夫妻はしばらくして、相次いで亡くなったのだった。

このこともあり、昭和22年3月、悟志は婚約者の女性と結婚することとなった。
彼は多くの子・孫、更には曾孫に恵まれて現在も故郷の地で暮らしている。


「また長話になってしまったな」 M宅さんはそう言って一息入れてから、また話し出します。
もう戦後70年。年月は祖父の記憶も容赦なく風化させてしまった。多分途中で気づいたと思うけど、命の恩人である夫婦だって、名字は出てきても二人の名前が出てこないんだ。一度行ったはずの、夫婦の住んでいた場所も分からない。
本当は風化させたままの方がよかったのかもしれない。祖父の周囲の人間は、戦争時のこの話を快く思っていない節がある。でもそれは責められることじゃない。彼らは戦後すぐの大変な時代を生きてきた。そんな彼らにとって、原因である戦争の話は、実に暗い、知りたくもない話なんじゃないかな。
それに祖父自身だってそう。この話を聞き取るに当たり、「自分のことについて記したいと思っていたんだ」と祖父は言っていたけど、もしそうなら、断片的にでも記録を残しているはずなんだ。
だとしたら、私がこうやって祖父の記憶を掘り起こそうとするのは間違いなのかもしれない。
「でもやっぱりね」M宅さんは続けます。
お酒を呑んで酔いが回った時、祖父は決まってこの時のことをこぼすんだ。やっぱり誰かに聞いてもらいたいんだよ。だからこれが、一緒にお酒を呑んであげられない孫の、数少ない孝行なんじゃないか、と思ってね。

それじゃあ宇留野君、これで私の話は終わり。ちょっとは時間つぶしになったかな。
そう言って締めくくりました。
(話中の人名は仮名です。また、M宅さんのお祖父さんの記憶に基づくため、間違いがある可能性があります)


posted by DSK会員 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月19日

夏バテ注意

 お久しぶりです、4回の吉川です。早いもので、あと半年ほどで卒業(予定)となりました。大学4年間、勉強にも将棋にも中途半端だったなぁと、いつものことながら後悔の日々を過ごしています。
夏休みはあと一月と半分ほどありますが、一瞬で過ぎ去ると思います。やりたいこと、やらなくてはならないこともしっかりと行って、後悔の無いようにお過ごし下さい。

 9月の中頃から11月にかけての二ヶ月間は新人戦→個人戦→一軍戦と将棋関係の行事はめっちゃ詰められています。今の時期から準備しとくのがオススメです。なお、私は将棋をここ2ヶ月ほどロクにしていないため、棋力が著しく下降しており、継続は力という言葉は正しいのだと思い知らされています。これを見て、「じゃあやっとこうかな」と少しでも思って下さればそれ幸いです。

雑文なのをお許し下さい。

ではご機嫌よう。

posted by DSK会員 at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月15日

かなざわにて

サンダーバード! 3回生の辻岡です。 SOSOSの海に溺れる。

先日、石川の兼六園に行ってきました。 メンバーはO、Sの3人。

まずは金沢駅に到着。
image.jpg
兼六園に行く前に隣の金沢城に入城。 物見櫓に2回も登りました。
image.jpgimage.jpg
その後、料亭で治部煮スペシャル(手前はそば、奥はうどん 各1200)を食べました。 Sはカレーを頼んで40分近く待たされていました(600)
image.jpgimage.jpg
掛け軸。 二十万石くらいかなと妄想していたら、なんと5倍!
image.jpg
お昼は兼六園に。 池や松、銅像や石台など様々なものがところどころに点在していました
image.jpgimage.jpgimage.jpg
ご老体であろう松。  何本もの木に支えられていました
image.jpg
「Monster」を店前で歌おうかと思念しましたが断念  店前ではツクツクボウシがせわしなく鳴いていました
image.jpg
夜はすっきりとお寿司をいただきました。 炙り丼や漬け鮪丼を私とOは頼んで、早くに箸を割ることができましたが、不幸は同じ人に重なるものなのでしょうか… Sは光り物を頼んで40分近く待たされていました(500)
image.jpgimage.jpg
金沢にも某大学の触手はのびていました
image.jpg
旅はかけがえのないものです。みなさんも是非大切な人と行ってみてはいかがでしょうか?





posted by DSK会員 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月29日

理性という概念の存在しない退屈な世界

ひさびさに。四回生のSです。
某日。BOXで某アニメを某一回生が見始めました。そこにいた僕、N山も追随していました。
ここで某一回生が見過ごせない行動をとりました。OPとEDを見ずににスキップしたのです。
このEDは上坂すみれ氏が歌うJAPANのCOOLなCULTUREをREPRESENTするMUSICであって、それをSKIPすることは見過ごせませんでした。
s「ねえ」
某「はい、なんでしょう」
s「君にアニメの見方を教えてあげたいと思う」
某「はい」
s「アニメのOPとEDには見るべきものと見ないで飛ばすべきものの二種類がある。どういうことか分かるか?」
某「あっ」
s「つまりそういうことだ」
某「………でも耐えてないじゃないですか」
s「耐えてないとかそういうことは求められてない。抑圧から解放されることが重要。」
n「強要するつもりはないんやけどな。もう終わっちゃってるし」
某「………はい」
 (この会話には脚色、記憶違いが含まれています

理性と欲望はどちらが勝つのか。永遠のテーマに踏み込んだ瞬間だったと思います。
そもそも理性という語を欲望を抑えるものという意味で用いることに対して僕は違和感があるのですが、その辺は時間がないのでまた今度多分追記します。では。

posted by DSK会員 at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月19日

廃線連盟

得意忍術は肉弾戦車。こんにちは、うるのです。

これは僕の知人であるところのM宅さんの話です。


私の生まれ育った町には2本の鉄道が走っていた。といってもJRであるとか、或いは阪急やら近鉄といった有名私鉄ではない。ローカル線と呼ぶにふさわしいものである。
かたや神戸電鉄粟生線。小野市から三木をまたいで神戸までつながり、三宮や三田へと至る鉄道である。
かたや三木鉄道。こちらが今回話したい鉄道の話である。

神鉄の列車は幼いころの私をして、「りんごでんしゃ!」と言わしめる赤を主体とした鮮やかな車体であった。対して三木鉄のそれはクリーム色を基調に、原色に比して落ち着いた赤と青のラインを下部に走らせた、柔らかい印象を抱かせるものであった。
大体にして、所謂ワンマンで一両編成、単線ともなれば、いよい思わず笑みをこぼしてしまいそうな可愛さを抱かせるサイズであることは、想像に難くないだろう。
そんな車体の大きさに付き従うかのように、加古川市のJR厄神駅まで伸びる線路は短く、駅から目をすがめれば次駅が見えそうなほど。走ってもいい運動になりうるかどうか、そんな指呼の間であった。一時期は第三セクター随一の営業距離(無論、短いという意味である)だったというのも頷ける。
線路の両脇にはフェンスの類は一切なく、高低差も存在しない。かの名作映画の真似をしようと線路内に侵入してみたところで、轢死の危険は皆無と言ってよかった。まっすぐに伸びる線路を、可憐な車体は田畑を脇目にゆったりと走るのだから。

当然といえば当然のことである。
慢性的な赤字を抱えていた三木鉄は、これの廃止を公約のひとつに掲げ選出された市長が主導し、廃止に向かうこととなった。
私が中学生の春、最後の車両が運行された。地元民のほか、鉄道ファンらが最後を見送った。

鉄道廃止後、レールと枕木はたちまちのうちに剥がされた。もとより申し訳程度に屋根がかかる駅舎と共に、現在は静かに自然に還りつつある。国崎往人のように、灼けた線路を歩くことも叶わない。
終点の厄神駅は今なおJR加古川線の一端を担う。しかしホームの一か所、三木鉄が通っていた部分は、やはりレールも枕木も外され、ぽっかりと空間が空いているかのようである。
始点の三木駅はすっかり公園として整備されている。新しい建物が建ち綺麗になった駅舎跡は、しかし、往時を偲ばせるところは一切ない。この記念公園からは、むしろ早く忘れ去ろうとしているかのようにすら感じられる。

残された車体は売却された。一台は県内に、もう一台は岐阜県に移ったが、それらの車両は、今ではかつての塗装が失われている。
ただ一台だけは、遠く茨城県のひたちなか海浜鉄道で、当時の塗装のまま運行されている。扉のそばには小さく、「ミキ300-103」と車両番号が記されている。


「で、その話と今期のアニメの間に、どんな関係があるんですか?」
「登場するんだよ、三木鉄道の車体が。この作品から、きっと言いようのない懐かしさを感じる人たちは多いと思うのん。でも、私はこの作品から確固とした懐かしさを感じ取れるのん。だって小さなときからずっと見てきて、そして失われた鉄道が、そこを走っているんだから」
そう言ってから、「今期はのんのんとがっこうぐらしがあるから、癒されること間違いなしだね」とM宅さんは締めくくりました。

続きを読む
posted by DSK会員 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月12日

淋しい熱帯夜

ここ数日寝苦しい京都。なぜここが長らく日本の中心だったのでしょうか。こんばんは、うるのです。
暑さのあまり、無意味に大魔神ポーズをしてしまいそうです。

眠れないからちょっとだけ書きます。
どうやら『食戟のソーマ』なる作品が流行っているらしいです。そういえば少し前に大学内の生協で、アニメ版のCMが流れていました。
気になったので、ちらりと拝見。
なんや、これ……(困惑)。
湧いてきた感想は、下品、の一言でした。色気がある、といえば聞こえはいいのでしょうが。
でも茅野愛衣さんが出演されているから……。茅野さんについて、N山の発言を一個思い出しましたが、ここに記すのはやめておきます。だって耐えてないんですよね、「かやのんには『疲れたよね、よくがんばったね』って頭撫でられたい」って。

しかし時代を遡ってみますと、かつて食事という行為は品のない行為でした。
今でこそ、友人と机を囲んで箸を手に談笑、というのはいたって普通ですが、昔ならば食事とは(それこそ性行為や排せつ行為のように)人目をはばかる行為だったようです。
現代にその名残はあるだろうかと見回してみたところ、ひとつ見つけることが出来ました。

女房言葉という言葉があります。位の高い人に仕えた女性たちが用いたもので、婉曲や隠語的なニュアンスを含むのです。
その中に、語尾を「もじ」とする表現があります。「もじ」とは勿論「文字」のことです。例えば「そなた」を「そもじ」と言い換えるように。
最も皆さんにピンとくるのは、「うるのは佐藤利奈の声に”ほの字”なんだぜ」の「ほの字」ではないでしょうか。言うまでもなく「惚れる」と「字」を組み合わせた表現です。とは言えこの言葉も昭和臭が漂ってしまうのは否定できません。
さて話を戻しまして、この女房言葉で今なお厳然と残る言葉が、他でもなく食事に関して残っています。
ご飯を盛るためにもちいた道具である「しゃくし(杓子)」を、女性たちは例によって頭の部分と「もじ」を組み合わせて呼ぶようになりました。そうですね、「しゃもじ」の誕生です。

こうして見てくると、食戟のソーマの行き過ぎていると思われる食事の際の表現も、あえて原点に立ち戻ったうえで、社会に食というもののありのままの姿を見せつけようと挑戦している作品なのだろうかと考えそうになりましたが、そんなことはないのでしょう。
結論としては、ごはんとかよちんの組み合わせは素晴らしいということになります。
それではこの辺で。
posted by DSK会員 at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月07日

べんとうぐらし!

はやみんが出演し、歌っているからこそ観る『赤髪の白雪姫』。
こんにちは。うるのです。
あやねるが出演し、叫んでいるからこそ観る『アクエリオンロゴス』。

さて、僕の趣味のひとつに読書があります。活字を追うにつれて、自らの内側にて知性ほんの少しずつ向上している快感を覚えられます。
そんなわけで本日は、アニメ版では僕の大好きな伊瀬茉莉也さんが出演されていた名作、『ベン・トー』を読んでいました。
本作は、半額弁当を巡って争奪戦を繰り広げる人々の血と汗とセガの物語です。
題名に関しては、もちろんかの名映画である『ベン・ハー』をもじったものです。ですがショーギプレイヤーにとっては、内藤國雄九段作の詰将棋を思い出すところかもしれません。

ところで僕もお弁当はよく使います。大学構内の生協を利用することがままあるので、そこで売られているものを購入するのです。

ここで質問なのですが、メインの肉料理の下に、申し訳程度に入っているパスタ。あれは何だと思いますか?
パスタに決まってるって? ちげぇよ。理由を聞いてるんだよどうしてパスタが入っているのか、って。
いくつかあるのですが、回答として主となるのは、滑り止めですね。肉から出た油を吸わせることで、容器内で肉が暴れまわるのを防いでいるのです。

では次の質問。おかずとおかずの間に挟まっていたりする、緑のギザギザ。あれは何と呼ばれるか知っていますか?
アルキメンデス? それはナゾノクサの別名だろうが。もしくは幻のカップ麺。
答えは「バラン」。寿司(回転しないものを指す)についているイメージが強いですかね。昔、『星のカービィ デデデでプププなものがたり』という超名作漫画内で、「これがないと寿司を食べた気分にならないだろう?」といった旨のセリフに、幼心にいたく共感した覚えがあります。

出身地の関係上、僕は利用したことがないのですが、中国地方には『ポプラ』なるコンビニチェーンがあるそうです。そこのお弁当は、ご飯が大盛り無料(特盛りがプラス50円)で、しかもその場で炊き立てをよそってもらえるということです。
まぁ僕には毎晩ご飯を用意してくれる女性がいるんですけどねー(白目)。

何だかおなかが空いてきてしまったので、本日はこの辺で。
お弁当の、切込みの入ったウインナーを摘み上げるたびに去来するこの気持ちって何だろう。
posted by DSK会員 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月03日

ハイカツ!

きんモザ二期からのんのん二期という難民救済連鎖。
にゃんぱすー。はばとりです。
桜Trick難民の僕が救われる日は来るのん……?

これは、『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』を視聴していた時のことです。大西沙織の最近の押し上げられっぷりは如何なものだろうか、いやでも加隈さんと絡むと面白いんだよなぁ、ととりとめなく思考を巡らせていると、突如として天啓が舞い降りてきました。
僕は、重大な、発見を、してしまったのです。

俳句の一部を「闇」に変えるとDSK。

この法則に気づいた瞬間たるや、口腔から「あわわわわ……」と声にならぬ声が漏れ続けたことからも、凄さが伝わると思います。因みにこれがもし「ぽぽぽぽぽ……」だったら八尺様。もう二度と父の実家に戻れないまである。
では、実際に試してみましょう。

・秋深き 隣は何を する人ぞ (芭蕉)
 闇深き 隣は何を する人ぞ (はばとり)
  [鑑賞]部室内。隣に座って将棋を指している彼も、この部屋にいるのだから闇を抱えているに違いない。そう考えると途端に得体のしれない存在に思えてくる。しかし心の闇にはお互いに立ち入ることはない。それがこの部の不文律である。

・いくたびも 雪の深さを 尋ねけり (正岡子規)
 いくたびも 闇の深さを 尋ねけり (うるの)
  [鑑賞]DSKに限らず、同志社を始めとする私立大学生に、「現役ですか?」「第一志望でした?」などと問うてはいけない。たいていの人間が、多かれ少なかれ、屈折した思いと共に入学するのである。だがその重大性に、当初は気づかないものもいる。そんな新入生が、上回生に先述の如き問いを発し、たちまちにDSK内の空気をそこはかとないものに変えてしまった。

・春の海 ひねもすのたり のたりかな (与謝蕪村)
 春の闇 ひのもすのたり のたりかな (うりゅう)
  [鑑賞]春、今年も新入生が、闇を隠してDSKの門戸をたたく。充実したキャンパスライフを夢見ていた彼らも、いつしか部室内で終日(ひねもす)だらだらと時間をつぶすだけの存在に変貌を遂げる。しかし嘆くことはない。そういった人物によって、同志社将棋研究会は脈々と受け継がれてきたのだから。

DSKでは俳人ならぬ廃人(≒課金勢)があなたをお待ちしております。
posted by DSK会員 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月01日

一軍戦2日目報告

こんばんは、4回生のRです。僭越ながら、主将の代理として一軍戦二日目の結果報告をさせて頂きます。

4回戦目 神戸大学
○橋本-熊本
×仲谷-名和
×山下-池
×横前-横山
×吉川(和)-奥田
×小川-皿田
○野田-平川

2−5で負け

5回戦目 大阪大学
×宇留野-高木
○橋本-坪井
×吉川(庸)‐田代
×仲谷-車谷
○横前-伊藤
×野田-藤井
×千代-平尾

2−5で負け

通算成績1−4で、A級5位、

入れ替え戦 大阪市立大学
○野田-藤原
○橋本-田中
×仲谷-松岡
○横前-堀川
×小川-辻
×山下-中屋
○三宅-犬塚

4−3で勝ち

入れ替え戦で勝つことができ、A級残留を決めました。

報告が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

posted by DSK会員 at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

御城主プロジェクト

ウルノは激怒した。必ず、茨城出身との発言に対する、「じゃあ阪急沿線だね」というかの邪智暴虐の返答を除かねばならぬと決意した。ウルノには将棋がわからぬ。ウルノは常陸の武士である。
こんにちは、はばとりです。

僕の家の話をしようと思います。
前述の通り、僕の家系は侍です。それだけなら、ときどきいらっしゃいます。でも、ただひとつ違っていたのは……僕さまは城主だったのです!(某海外コメディドラマのオープニングナレーション風)

その城の名はズバリ宇留野城。現在の常陸大宮市にあります。
ですが、「お城ってことは、いろいろ残ってるの? テンシュカクは?」といった問いを受けると、たちまち返答に窮してしまいます。実のところ、何も残っていません。ただの山です。

そもそも、建造物の残るような立派な城が個人所有だなんて、まずありえません。
有名どころで言えば、天守が現存する岐阜県の犬山城が、長らく城主一族であった成瀬氏の所有でしたが、これも2004年に財団法人に移管されています。

さて宇留野城の構造ですが(これを専門用語で縄張といいます)、久慈川を望む半島状の台地上に築かれた連郭式の城です。ことばではいまひとつ要領を得ないことだと思いますので、例えるのなら「だん○三兄弟」です。串にささってだんご、です。
北から順番に、川、(以下台地上に)三男、次男、長男(城の中心)が並んで配置されている感じです。やっぱわかんねえな。ググってください。
勿論、三男に当たるスペースよりも次男、次男スペースよりも長男スペースの方が高所になっています。
ところで長男である場所はあまり広くなく、日向神社という神社が残っています。これが当時から存在していたとすれば、面積も考慮すれば居住空間ではなく、崇拝すべき神聖な場所であったのかもしれません。
山城の最高所が神社として精神的空間になる例はないことではなく、浅井氏の居城である滋賀県の小谷城の山王丸がよく知られています。
となると、面積でも長男の5倍ほどの次男スペースが宇留野城の実質の中心と言えるのでしょうか。ただし時代が経つにつれて、日常の政務の場が平地に移るのは、山城の常です。宇留野城もこれに漏れません。
三兄弟の山の西側、谷を挟んだ平坦な場所がそれに当たります。今となってはほとんど遺構は認められませんが。

それから宇留野一族について。
宇留野氏は、清和源氏である関東の名門・佐竹氏の傍流という由緒ある氏族です。戦国期に本家である佐竹家に楯突いたために滅ぼされたりしましたが、別流が残り、関ケ原の戦い後に主家と共に秋田に移r……あれ? 僕んとこ、おいて行かれてるんだけど?

少し話が変わるのですが、俗に三大ブス都市なる不名誉な称号があり、ここに僕の住む水戸が入っています。一方、秋田は美人が多いことで知られます。
先ほど佐竹の殿様が、秋田に移り住んだと述べました。これに際し、それまで住んでいた水戸から美人を連れて行った、なんて逸話が残っているのです。
秋田美人といえば、我が部にもH本という色白痩身で整った顔立ちの人間(だが男だ)がいます。ひょっとしてひょっとしたら、僕の遺伝子の欠片と彼のそれがつながっているかもしれないと思うと、不思議な気分になってきますね。恋とかじゃないからな?

話がやや逸れましたが、逸話が本当だとすると、僕の先祖のルックスは、つまりそういうことだったのでしょうか。
400年経った今、置いて行かれた末裔の僕の家は、夏になるたびに、やはり置いて行かれた宇留野城跡の山を掃除しに行っているのです。

posted by DSK会員 at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月26日

本当にオールグリーンな人はアイムオールグリーンとは言わないんです

 こんにちは、二回生の宇留野です。更新した覚えのない記事が更新されていますが、きっと僕が夢遊病のように起き出して書いたものなのでしょう。

 一軍戦も終わり同志社も無事にA級に残留できました。女の子に折角コンサートに誘ってもらったのに、『レギュラーで使ってもらえそうだから将棋やるわ』という理由でデートを断った僕は0勝3敗です。いずれも中盤までは優勢な局面だったので力不足をかんじる一軍戦でした。

 そんなことはどうでもいい(よくない)。問題なのは、一軍戦の控え室で後輩が放った『アイムオールグリーンですよ先輩~』という一言
。おいお前、その言葉がどういう経緯で生まれたのか知ってんのか、それを生み出してしまった俺が今どんな気持ちでいるのか知ってるのか。というわけで、『アイムオールグリーン』が生み出された経緯について記していきたいと思います。皆様、ここから先は閲覧注意です。本当に閲覧注意です。大事なことなので二回言いました。

 5月下旬の話です。僕の住んでいる同志社大学の寮は今時珍しい自治寮でして、毎週木曜日に寮会というものを行って運営しています。僕は寮の中でも重役を務めていまして、その任期を終えた日に、言ってしまえば『今までお仕事お疲れ様でした飲み会』のようなものが、ばちやで開かれました。ああ、ちなみに僕は二十歳をこえているので何の問題もありませんよ?二回生は二十歳になっている人といない人がいますからね、この辺ははっきりさせておかないと。まあ誕生日は6月ですけど(察して)

 DSKの飲み会は酷い、とよく耳にしますがそんなことはありません。寮の飲み会のほうがよっぽど酷いです。6人の元重役たちで行った飲み会ですが、開幕から『ビール大瓶6本コップなし』と元寮長が飛ばしていきます。最終的に芋焼酎を人数分注文し、芋焼酎を店員が持ってきた瞬間にまた芋焼酎を人数分注文する、という終わりの見えないゲームとなり、僕の目の前にはまだ飲んでいない芋焼酎が10杯並ぶこととなりました。煽られると不可能がなくなる僕です。当時プレイしていたFatestaynightのアーチャーよろしく、『時間を稼ぐのは構わないが。別に目の前のこれを全部飲み干してしまっても構わんのだろう?』と芋焼酎を全部飲み干しました。余談ですがアーチャーはこの発言をしたすぐ後にバーサーカーによって葬り去られます。この後すぐに飲み会は終了し、僕は寮に戻って翌日の一限に向けて就寝しました(次の日一限なのに飲み会とかいくなよ)。そう、楽しく酔えているうちはまだ良かった。悪夢はここから始まります。

 翌日、気持ち悪さで目が覚めました。もうとにかく気持ち悪い。二日酔いになった人はわかると思いますが、脳がアルコールで満たされているあの感じです。いやもうこれ絶対講義出られないでしょ、今にも吐きそうだもん!と思いながらも、一限は出席点の存在する英語。GPA3を今期も維持するために、僕は一限への出席を決意しました。とりあえず、出席さえすれば点数がもらえるのです。教授に体調不良を伝えるために、あらかじめ辞書で『二日酔い』を引いておいて、英語で『ハングオーバー』であるということを確認しておきました。最後に食堂で特大のゴミ袋を調達し、僕は死地へと赴きます。

 事故はいつも突然に、現実はいつだって残酷です。吐きそうになったら教室を抜けてトイレに駆け込めばいい…そんな甘い見立てをしていた自分が悪かった。講義も中盤、突如として抑えきれない吐き気が僕を襲いました。あ、これトイレまでもたんやつや…そう思った僕は(ここだけは本当に自分の頭がおかしかったとしか思えない)大声で『Sorry!』と叫んで全員の注目を集めた後、持参したゴミ袋にもうひとりの僕を噴射しました。教室の時が止まる。僕の大学生活もここで終わりを迎えました。今でもこの授業に行くとみんなから『ゲロの人』と呼ばれます。なんだよゲロの人って。

一度吐くと胃が痙攣して何回も吐きます。何回目かのもうひとりの僕を吐き出したあと、教授が僕に対してこう言いました。『ワッツハプン!?』ああ、こうなった時のために『二日酔い』は調べておいたじゃないか、あれ、けど待って、もう出すもの出したから今は大丈夫って伝えないと。大丈夫って英語でなんて言うんだっけ、オーケーは違うよね…回らない頭で僕は教授にこう返しました。

『ソーリーソーリー、アイムハングオーバーナウ。アンドアイムオールグリーンナウ。』


posted by DSK会員 at 02:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月23日

デブライフ!

石塚英彦の言葉で一番好きなのは、「てんぷら油はデブの血液だよ」 はばとりです。

先週の月曜日の事です。
伊勢茉莉也さんの次に好きと言っても過言ではなかった小野涼子さんが結婚且つ妊娠という超絶悲報を受けて、僕は手持ちを全て瀕死にさせた主人公よろしく目の前が真っ暗になっていました。そんな鬱屈とした気分を紛らわすべく、僕は映画観賞を知人のN山に持ちかけました。
声豚であることと家族から食費として押し頂いた金を『SHIROBAKO』BDに突っ込んだことに目をつぶれば常識人の彼ですから、この誘いを快諾。週明け初日の朝っぱらから二人きりで映画館としゃれ込むことになりました。まるでデートみたいじゃないか(錯乱)。
そういえば以前も彼と食事に行くなど、男二匹の事態が日常化しつつあります。デート・ガ・ライフ。多分N山をデレさせないといけないんだな(錯乱)。

さて鑑賞する作品ですが、それはもちろんかの大人気作品『ラブライブ!』。高橋道雄九段をも巻き込んでの社会現象となり、「ラブライバー」なる方々の活躍がネット上で話題のあの作品です。それが今回劇場版化ということで、気にせずにはいられません。

館内に入って驚きました。平日の午前であるにもかかわらず、予想以上の人数。当然、埋まっているというほどではありませんが、「ふといホネ」の持たせ甲斐がありそうなくらいにガラガラだと思っていた僕にとっては読めなかった事象です。
あと大学生になっていなそうな女の子が来ていたのも読めませんでした。学校はどうしたの? サラリーマン風のおじさまが来ていたのも読めませんでした。会社はどうしたの? カップルがいたのも読めませんでした。周囲の殺意をどうしたいの?
照明が落ち開幕。
僕の隣に座っている奴は、涙腺の弱さを認めていますが、僕はアニメで泣くなんて子供じみた真似をしでかすつもりはありません。かつて僕の友人がプリキュアの映画を観に行って泣いた、という話を思い出しました。落涙の理由は内容云々でなく、純真な子供たちに囲まれた中でひとりいる自分の境遇ゆえだったそうです。ならもうDVD買っちまえよ。


閉幕。
僕は目から豚汁がじょじょじょと流れるのをぬぐいながら観終わりました。これは汗です。涙腺の問題ではなく、汗腺の問題なのです。断じてとなりのNくん(こう書くと漫画が出来そう。何ならアニメ化までする)に聞かれないように嗚咽をこらえたりはしていません。

心なしか眼元がうるんでいるようなN山と共に、達成感からか喪失感からか、翼が大きくなって旅立つような気分で、僕は映画館を後にしました。
海未ちゃんが一番可愛かった(小学生並の感想)。


posted by DSK会員 at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。