2017年04月28日

なれるSN〜ニートが救う労働事情〜

出オチです。どうも、最近真面目に授業に出ていたせいで腰を痛めて整骨院通いをしている4回生のアドラーです。


巷にはブラック御三家と呼ばれる業種があります。介護、飲食(特に居酒屋)、塾講師です。ここに運輸(特にトラック運転手)を加えると、四天王の出来上がりですね。
私に特定の職業を辱める意図はつゆほどもありませんが、先に述べた業界において相対的に労力や拘束時間と見合った対価が得られないことはまぎれもない事実であります。内容のしんどさや時間給もそうなのですが、特に責任という言葉のもとに時間を盗まれる点においてそれは顕著です(みなし残業代制とか、裁量労働制とか言われますね。普通の飲食店の店長の裁量なんてほとんどないのでもちろん違法です)。

具体的な名前をあげるのは避けますが、その中でもいくつかの精鋭ブラック企業では人を人とも思わぬ所業がなされます。どうしてこうした企業に就職してしまう人がおり、また辞められずにいるのでしょうか?
第二人事部と呼ばれる企業別労働組合、国家による福祉を受けるハードルの高さ、奨学金という耳に心地よい名ばかりの借金、そして経済的な意味にとどまらない貧困。これらも大きな理由でしょうが、私はここでは日本人の労働観を挙げて見たいと思います。

日本の、特に低賃金労働者層は他国に比べて恐るべき質の高さを誇ります。これは彼らが賃金以外のインセンティブによって労働へと向き合っていることに起因しています。その大きなインセンティブの一つにやりがいや、職業意識の高さがあげられることは疑いないでしょう。
よく例に挙げられるのですが、日本ではトイレ掃除を仕事にする人でさえ自らの仕事に意味があると感じているといわれています。私もそうした仕事に敬意を払っていますが、これは一般的な日本人である皆様も同様でしょう。現在の日本では、少なくとも公然と特定の職業を馬鹿にすることが歓迎される風土はありません。これはお金のために仕方なく労働をすると考える、多くの国のブルーカラーにとっては考え難いことです。

しかしながら、そのどんな職でもないよりはいいという勤労観は半ば強迫観念に近いところまできています。
(現在労働市場が労働者売り手に変わりつつあるため若干マシになりつつあるとはいえ、)ここ十年の若者の使い潰しには目に余るものがありました。しかしながら、比較的条件のまともな職は絶対数が足りずに全員へ行き渡らないため、この勤労観に従えば必ず誰かはブラック企業の家畜にならなければなりません。言い換えれば、就職の競争に敗れた人間は地下労働施設で働くよう強制されているのです。カイジかよ。

私はそうした強迫観念から生まれた職のない人を見下す風潮については疑問を覚えます。何故ならば、その風潮のせいで裕福であるにも関わらず働く人が出てくるからです。どこであろうと彼らが席を空けてくれれば、全員が上に繰り上がって経済的な事情で本当に就職しなければならない人々がより条件の良い職業に就くことができたはずです。ですから私は、むしろ経済的なゆとりのある人には我々の職を奪わないでほしいとさえ思っています。

「俺たちの若いころは」とか自らの苦労話を語り始める人々はお上に対してそれを述べて待遇の改善を求めるべきです。公害で重い病を患った人間に出会ったが最後、肺炎の人間は病院へ行くことさえ許されないのでしょうか。肺炎の人間に責任があるとは私にはどうしても思えません。
とはいうものの、同世代でさえどれだけブラックな環境で働いているかを自慢しあい、それより下の環境で根をあげた人間を見下すのですから上の世代に理解を求めるのは難しいでしょうか。どうも我々日本人は上を見て暮らさずに下を見て暮らす江戸時代からの慣習がいまだに抜けきられないようです。

http://www.excite.co.jp/News/column_g/20150419/Mycom_freshers__gmd_articles_3941.html
エクセルデータ作るの面倒くさいなと思ってたところにちょうどいいのがあったので流用します。ILOのデータ引用してるみたいなんでたぶん大丈夫でしょう。
これによると、日本のニートの数は他国に比べるまでもなく少なく、同世代人口のわずか1割弱だそうです。ブラック企業に屠殺されてリタイアせざるを得なくなった者が多くいるにも関わらず、他国に比べてここまで少ないのは逆に違和感がありますね。

ここで働きアリの法則を思い出して見ましょう。どんな組織においてもよく働くもの、そこそこ働く者、働かない者の割合は2-6-2に収まるそうです。日本にはニートが足りていないのではないでしょうか?これが1割増えれば、ブラック企業に供給される人員の余裕がなかったため、そもそもブラック企業など生まれなかったかもしれません。
どうも現代社会には全くゆとりがないように感じられます。他者をいたわる心のゆとりがなく、家庭を持つだけの経済的なゆとりがなく、お上と戦うだけの時間の余裕がない。ゆとり最後の世代と言われた我々こそ、せめて心にはゆとりをもって生きていきたい所存です。

私には夢があります。それは、いつの日かこの国の賃金が上がって、私たちが搾取されるために企業を守らなければならないという強迫観念から解放されますように。それでは

posted by DSK会員 at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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