2015年07月29日

理性という概念の存在しない退屈な世界

ひさびさに。四回生のSです。
某日。BOXで某アニメを某一回生が見始めました。そこにいた僕、N山も追随していました。
ここで某一回生が見過ごせない行動をとりました。OPとEDを見ずににスキップしたのです。
このEDは上坂すみれ氏が歌うJAPANのCOOLなCULTUREをREPRESENTするMUSICであって、それをSKIPすることは見過ごせませんでした。
s「ねえ」
某「はい、なんでしょう」
s「君にアニメの見方を教えてあげたいと思う」
某「はい」
s「アニメのOPとEDには見るべきものと見ないで飛ばすべきものの二種類がある。どういうことか分かるか?」
某「あっ」
s「つまりそういうことだ」
某「………でも耐えてないじゃないですか」
s「耐えてないとかそういうことは求められてない。抑圧から解放されることが重要。」
n「強要するつもりはないんやけどな。もう終わっちゃってるし」
某「………はい」
 (この会話には脚色、記憶違いが含まれています

理性と欲望はどちらが勝つのか。永遠のテーマに踏み込んだ瞬間だったと思います。
そもそも理性という語を欲望を抑えるものという意味で用いることに対して僕は違和感があるのですが、その辺は時間がないのでまた今度多分追記します。では。

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2015年07月19日

廃線連盟

得意忍術は肉弾戦車。こんにちは、うるのです。

これは僕の知人であるところのM宅さんの話です。


私の生まれ育った町には2本の鉄道が走っていた。といってもJRであるとか、或いは阪急やら近鉄といった有名私鉄ではない。ローカル線と呼ぶにふさわしいものである。
かたや神戸電鉄粟生線。小野市から三木をまたいで神戸までつながり、三宮や三田へと至る鉄道である。
かたや三木鉄道。こちらが今回話したい鉄道の話である。

神鉄の列車は幼いころの私をして、「りんごでんしゃ!」と言わしめる赤を主体とした鮮やかな車体であった。対して三木鉄のそれはクリーム色を基調に、原色に比して落ち着いた赤と青のラインを下部に走らせた、柔らかい印象を抱かせるものであった。
大体にして、所謂ワンマンで一両編成、単線ともなれば、いよい思わず笑みをこぼしてしまいそうな可愛さを抱かせるサイズであることは、想像に難くないだろう。
そんな車体の大きさに付き従うかのように、加古川市のJR厄神駅まで伸びる線路は短く、駅から目をすがめれば次駅が見えそうなほど。走ってもいい運動になりうるかどうか、そんな指呼の間であった。一時期は第三セクター随一の営業距離(無論、短いという意味である)だったというのも頷ける。
線路の両脇にはフェンスの類は一切なく、高低差も存在しない。かの名作映画の真似をしようと線路内に侵入してみたところで、轢死の危険は皆無と言ってよかった。まっすぐに伸びる線路を、可憐な車体は田畑を脇目にゆったりと走るのだから。

当然といえば当然のことである。
慢性的な赤字を抱えていた三木鉄は、これの廃止を公約のひとつに掲げ選出された市長が主導し、廃止に向かうこととなった。
私が中学生の春、最後の車両が運行された。地元民のほか、鉄道ファンらが最後を見送った。

鉄道廃止後、レールと枕木はたちまちのうちに剥がされた。もとより申し訳程度に屋根がかかる駅舎と共に、現在は静かに自然に還りつつある。国崎往人のように、灼けた線路を歩くことも叶わない。
終点の厄神駅は今なおJR加古川線の一端を担う。しかしホームの一か所、三木鉄が通っていた部分は、やはりレールも枕木も外され、ぽっかりと空間が空いているかのようである。
始点の三木駅はすっかり公園として整備されている。新しい建物が建ち綺麗になった駅舎跡は、しかし、往時を偲ばせるところは一切ない。この記念公園からは、むしろ早く忘れ去ろうとしているかのようにすら感じられる。

残された車体は売却された。一台は県内に、もう一台は岐阜県に移ったが、それらの車両は、今ではかつての塗装が失われている。
ただ一台だけは、遠く茨城県のひたちなか海浜鉄道で、当時の塗装のまま運行されている。扉のそばには小さく、「ミキ300-103」と車両番号が記されている。


「で、その話と今期のアニメの間に、どんな関係があるんですか?」
「登場するんだよ、三木鉄道の車体が。この作品から、きっと言いようのない懐かしさを感じる人たちは多いと思うのん。でも、私はこの作品から確固とした懐かしさを感じ取れるのん。だって小さなときからずっと見てきて、そして失われた鉄道が、そこを走っているんだから」
そう言ってから、「今期はのんのんとがっこうぐらしがあるから、癒されること間違いなしだね」とM宅さんは締めくくりました。

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2015年07月12日

淋しい熱帯夜

ここ数日寝苦しい京都。なぜここが長らく日本の中心だったのでしょうか。こんばんは、うるのです。
暑さのあまり、無意味に大魔神ポーズをしてしまいそうです。

眠れないからちょっとだけ書きます。
どうやら『食戟のソーマ』なる作品が流行っているらしいです。そういえば少し前に大学内の生協で、アニメ版のCMが流れていました。
気になったので、ちらりと拝見。
なんや、これ……(困惑)。
湧いてきた感想は、下品、の一言でした。色気がある、といえば聞こえはいいのでしょうが。
でも茅野愛衣さんが出演されているから……。茅野さんについて、N山の発言を一個思い出しましたが、ここに記すのはやめておきます。だって耐えてないんですよね、「かやのんには『疲れたよね、よくがんばったね』って頭撫でられたい」って。

しかし時代を遡ってみますと、かつて食事という行為は品のない行為でした。
今でこそ、友人と机を囲んで箸を手に談笑、というのはいたって普通ですが、昔ならば食事とは(それこそ性行為や排せつ行為のように)人目をはばかる行為だったようです。
現代にその名残はあるだろうかと見回してみたところ、ひとつ見つけることが出来ました。

女房言葉という言葉があります。位の高い人に仕えた女性たちが用いたもので、婉曲や隠語的なニュアンスを含むのです。
その中に、語尾を「もじ」とする表現があります。「もじ」とは勿論「文字」のことです。例えば「そなた」を「そもじ」と言い換えるように。
最も皆さんにピンとくるのは、「うるのは佐藤利奈の声に”ほの字”なんだぜ」の「ほの字」ではないでしょうか。言うまでもなく「惚れる」と「字」を組み合わせた表現です。とは言えこの言葉も昭和臭が漂ってしまうのは否定できません。
さて話を戻しまして、この女房言葉で今なお厳然と残る言葉が、他でもなく食事に関して残っています。
ご飯を盛るためにもちいた道具である「しゃくし(杓子)」を、女性たちは例によって頭の部分と「もじ」を組み合わせて呼ぶようになりました。そうですね、「しゃもじ」の誕生です。

こうして見てくると、食戟のソーマの行き過ぎていると思われる食事の際の表現も、あえて原点に立ち戻ったうえで、社会に食というもののありのままの姿を見せつけようと挑戦している作品なのだろうかと考えそうになりましたが、そんなことはないのでしょう。
結論としては、ごはんとかよちんの組み合わせは素晴らしいということになります。
それではこの辺で。
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2015年07月07日

べんとうぐらし!

はやみんが出演し、歌っているからこそ観る『赤髪の白雪姫』。
こんにちは。うるのです。
あやねるが出演し、叫んでいるからこそ観る『アクエリオンロゴス』。

さて、僕の趣味のひとつに読書があります。活字を追うにつれて、自らの内側にて知性ほんの少しずつ向上している快感を覚えられます。
そんなわけで本日は、アニメ版では僕の大好きな伊瀬茉莉也さんが出演されていた名作、『ベン・トー』を読んでいました。
本作は、半額弁当を巡って争奪戦を繰り広げる人々の血と汗とセガの物語です。
題名に関しては、もちろんかの名映画である『ベン・ハー』をもじったものです。ですがショーギプレイヤーにとっては、内藤國雄九段作の詰将棋を思い出すところかもしれません。

ところで僕もお弁当はよく使います。大学構内の生協を利用することがままあるので、そこで売られているものを購入するのです。

ここで質問なのですが、メインの肉料理の下に、申し訳程度に入っているパスタ。あれは何だと思いますか?
パスタに決まってるって? ちげぇよ。理由を聞いてるんだよどうしてパスタが入っているのか、って。
いくつかあるのですが、回答として主となるのは、滑り止めですね。肉から出た油を吸わせることで、容器内で肉が暴れまわるのを防いでいるのです。

では次の質問。おかずとおかずの間に挟まっていたりする、緑のギザギザ。あれは何と呼ばれるか知っていますか?
アルキメンデス? それはナゾノクサの別名だろうが。もしくは幻のカップ麺。
答えは「バラン」。寿司(回転しないものを指す)についているイメージが強いですかね。昔、『星のカービィ デデデでプププなものがたり』という超名作漫画内で、「これがないと寿司を食べた気分にならないだろう?」といった旨のセリフに、幼心にいたく共感した覚えがあります。

出身地の関係上、僕は利用したことがないのですが、中国地方には『ポプラ』なるコンビニチェーンがあるそうです。そこのお弁当は、ご飯が大盛り無料(特盛りがプラス50円)で、しかもその場で炊き立てをよそってもらえるということです。
まぁ僕には毎晩ご飯を用意してくれる女性がいるんですけどねー(白目)。

何だかおなかが空いてきてしまったので、本日はこの辺で。
お弁当の、切込みの入ったウインナーを摘み上げるたびに去来するこの気持ちって何だろう。
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2015年07月03日

ハイカツ!

きんモザ二期からのんのん二期という難民救済連鎖。
にゃんぱすー。はばとりです。
桜Trick難民の僕が救われる日は来るのん……?

これは、『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』を視聴していた時のことです。大西沙織の最近の押し上げられっぷりは如何なものだろうか、いやでも加隈さんと絡むと面白いんだよなぁ、ととりとめなく思考を巡らせていると、突如として天啓が舞い降りてきました。
僕は、重大な、発見を、してしまったのです。

俳句の一部を「闇」に変えるとDSK。

この法則に気づいた瞬間たるや、口腔から「あわわわわ……」と声にならぬ声が漏れ続けたことからも、凄さが伝わると思います。因みにこれがもし「ぽぽぽぽぽ……」だったら八尺様。もう二度と父の実家に戻れないまである。
では、実際に試してみましょう。

・秋深き 隣は何を する人ぞ (芭蕉)
 闇深き 隣は何を する人ぞ (はばとり)
  [鑑賞]部室内。隣に座って将棋を指している彼も、この部屋にいるのだから闇を抱えているに違いない。そう考えると途端に得体のしれない存在に思えてくる。しかし心の闇にはお互いに立ち入ることはない。それがこの部の不文律である。

・いくたびも 雪の深さを 尋ねけり (正岡子規)
 いくたびも 闇の深さを 尋ねけり (うるの)
  [鑑賞]DSKに限らず、同志社を始めとする私立大学生に、「現役ですか?」「第一志望でした?」などと問うてはいけない。たいていの人間が、多かれ少なかれ、屈折した思いと共に入学するのである。だがその重大性に、当初は気づかないものもいる。そんな新入生が、上回生に先述の如き問いを発し、たちまちにDSK内の空気をそこはかとないものに変えてしまった。

・春の海 ひねもすのたり のたりかな (与謝蕪村)
 春の闇 ひのもすのたり のたりかな (うりゅう)
  [鑑賞]春、今年も新入生が、闇を隠してDSKの門戸をたたく。充実したキャンパスライフを夢見ていた彼らも、いつしか部室内で終日(ひねもす)だらだらと時間をつぶすだけの存在に変貌を遂げる。しかし嘆くことはない。そういった人物によって、同志社将棋研究会は脈々と受け継がれてきたのだから。

DSKでは俳人ならぬ廃人(≒課金勢)があなたをお待ちしております。
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2015年07月01日

一軍戦2日目報告

こんばんは、4回生のRです。僭越ながら、主将の代理として一軍戦二日目の結果報告をさせて頂きます。

4回戦目 神戸大学
○橋本-熊本
×仲谷-名和
×山下-池
×横前-横山
×吉川(和)-奥田
×小川-皿田
○野田-平川

2−5で負け

5回戦目 大阪大学
×宇留野-高木
○橋本-坪井
×吉川(庸)‐田代
×仲谷-車谷
○横前-伊藤
×野田-藤井
×千代-平尾

2−5で負け

通算成績1−4で、A級5位、

入れ替え戦 大阪市立大学
○野田-藤原
○橋本-田中
×仲谷-松岡
○横前-堀川
×小川-辻
×山下-中屋
○三宅-犬塚

4−3で勝ち

入れ替え戦で勝つことができ、A級残留を決めました。

報告が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

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御城主プロジェクト

ウルノは激怒した。必ず、茨城出身との発言に対する、「じゃあ阪急沿線だね」というかの邪智暴虐の返答を除かねばならぬと決意した。ウルノには将棋がわからぬ。ウルノは常陸の武士である。
こんにちは、はばとりです。

僕の家の話をしようと思います。
前述の通り、僕の家系は侍です。それだけなら、ときどきいらっしゃいます。でも、ただひとつ違っていたのは……僕さまは城主だったのです!(某海外コメディドラマのオープニングナレーション風)

その城の名はズバリ宇留野城。現在の常陸大宮市にあります。
ですが、「お城ってことは、いろいろ残ってるの? テンシュカクは?」といった問いを受けると、たちまち返答に窮してしまいます。実のところ、何も残っていません。ただの山です。

そもそも、建造物の残るような立派な城が個人所有だなんて、まずありえません。
有名どころで言えば、天守が現存する岐阜県の犬山城が、長らく城主一族であった成瀬氏の所有でしたが、これも2004年に財団法人に移管されています。

さて宇留野城の構造ですが(これを専門用語で縄張といいます)、久慈川を望む半島状の台地上に築かれた連郭式の城です。ことばではいまひとつ要領を得ないことだと思いますので、例えるのなら「だん○三兄弟」です。串にささってだんご、です。
北から順番に、川、(以下台地上に)三男、次男、長男(城の中心)が並んで配置されている感じです。やっぱわかんねえな。ググってください。
勿論、三男に当たるスペースよりも次男、次男スペースよりも長男スペースの方が高所になっています。
ところで長男である場所はあまり広くなく、日向神社という神社が残っています。これが当時から存在していたとすれば、面積も考慮すれば居住空間ではなく、崇拝すべき神聖な場所であったのかもしれません。
山城の最高所が神社として精神的空間になる例はないことではなく、浅井氏の居城である滋賀県の小谷城の山王丸がよく知られています。
となると、面積でも長男の5倍ほどの次男スペースが宇留野城の実質の中心と言えるのでしょうか。ただし時代が経つにつれて、日常の政務の場が平地に移るのは、山城の常です。宇留野城もこれに漏れません。
三兄弟の山の西側、谷を挟んだ平坦な場所がそれに当たります。今となってはほとんど遺構は認められませんが。

それから宇留野一族について。
宇留野氏は、清和源氏である関東の名門・佐竹氏の傍流という由緒ある氏族です。戦国期に本家である佐竹家に楯突いたために滅ぼされたりしましたが、別流が残り、関ケ原の戦い後に主家と共に秋田に移r……あれ? 僕んとこ、おいて行かれてるんだけど?

少し話が変わるのですが、俗に三大ブス都市なる不名誉な称号があり、ここに僕の住む水戸が入っています。一方、秋田は美人が多いことで知られます。
先ほど佐竹の殿様が、秋田に移り住んだと述べました。これに際し、それまで住んでいた水戸から美人を連れて行った、なんて逸話が残っているのです。
秋田美人といえば、我が部にもH本という色白痩身で整った顔立ちの人間(だが男だ)がいます。ひょっとしてひょっとしたら、僕の遺伝子の欠片と彼のそれがつながっているかもしれないと思うと、不思議な気分になってきますね。恋とかじゃないからな?

話がやや逸れましたが、逸話が本当だとすると、僕の先祖のルックスは、つまりそういうことだったのでしょうか。
400年経った今、置いて行かれた末裔の僕の家は、夏になるたびに、やはり置いて行かれた宇留野城跡の山を掃除しに行っているのです。

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