2014年10月29日

体調を崩した時の思考回路(笑)

 体調を崩し、目下横になるしかない吉川です。頭が働きません。寝てる最中にボケーと考えたことを書きます。

 ここ最近どうも体調がよくなく、気が付けば発熱してしまい、ベッドに横になっていたのですが、なぜか思ったのは、
「あー、ここにお袋殿が居たらいいなー」でした。
 その昔、確か中学生だった時だと思うが、当時大学生だった姉貴殿に、
「男は皆、ロリコンでマザコンなのさ」
というよく分からないことを聞きました。
 そういえば、、ロリコンなのは人間の本能が関係してるだとか誰かが言ってましたね、本当なのかは知りませんが。まあ、いいや。
 当時の私は、なるほどーと思いましたが、同時に、流石に十年後にはマザコンというものは消えてるだろうと思っていました。ところがどっこいそうでもないみたいですね。

 この話と少し関係したことですが、姉貴殿が寝込んでいるときに考えるのは、お袋殿よりも親父殿のことが多いみたいですね。別に、お袋殿のことを考えないというわけではないのですが、ふと浮かぶのは親父殿なんだそうです。私も姉貴殿や兄貴殿、そして親父殿のことを考えないわけではないのですが、真っ先に浮かんだのがお袋殿だったという話です。男っていうのは母親を、女っていうのは父親のことをとても慕っているっていうことなのかなあとか、そんなよく分からないことを考えてしまうのでした。

 病気は治りかけが大切、これ重要です。熱も引いて大丈夫だろうと学校に行った結果が今の私です。うん、風邪ひいたらおとなしく寝ておきましょう。ある人は中間試験というものがありますし、近いうちに資格試験というものもあります。受ける人はどうかご注意ください。あと、再来週には大会もありますし、体調管理にはどうか気を付けてください。こうして体調崩した人が言うと、説得力あるっしょ?
以上です、おやすみなさい。
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2014年10月22日

時代祭を見たというだけの話(画像なし)

絶対的な権力は絶対的に腐敗する。三回生の西塔です。
冒頭の格言に特に意味はない。そんなことより誰か記事書けよ。

今日の私は二限目の授業のあまりのつまらなさに履修中止を決意し、授業中に荷物を纏め堂々と前のドアから教室を出ました。
買うものもないのに良心館BOOK&SHOPを約三十分ぶらぶらした後帰宅を決行。
それで烏丸通を南下してたら見ちゃったんですよ。なんか古風な行列を。
馬に乗ってる人とか昔の服着てる人とかが車道の半分を占拠しながら歩いてる光景を。
一番に浮かんだ感想は、「馬ってでかいなー」とかそんなんで、日本の歴史に対する興味関心はどっかに行ってしまってました。
でもまあなんとなく気になったのでぼーっとしばらく見てました。
たしか昔の馬は今の馬より小さかったはずだよなとか、白い顔した女の人の前に小野小町とか書いてある旗持った人が歩いてるのを見て、書いてなかったら分かんねーよとか絶対イメージ違うとか、紫式部と清少納言が同じとこにいて「ん?」とか、そんなことは全然全く毫も毛ほども露ほどにも思いませんでしたよ、ええ。
後、四・五頭に一頭(それより少なかったかもしれないけど馬の数を数えるほど行列に無関心でもなかった)くらいの割合の馬が真っ直ぐ歩かずにあっちへふらふらこっちへふらふらしてたり、ひずめの音高く歩いてたりするのを見て、馬扱うのもたいへんだなーとか同情するようなこともありませんでした。本当です。パンフレットが有料で憤ったりもしていません。
なんだかんだ三十分くらい見てました。途中で雨降ったりとかしましたが傘を差しました。
でも三十分もすると足も疲れるし、いつまで続くんだこれとかこれっぽちも思わないわけです。
で、、車道を進む行列と逆方向、つまり向かっていくかたちで歩道に添って歩き、行列の一番後ろを見てやろうと歩いてみました。
丸太町通りを東方向へ。
すると、行列は御所の南(正しい名称を知らないのは私がおのぼりさんだからです)から出ていることが分かりました。
へー。
で、それを確かめた後、下宿に帰りました。疲れたから仕方ない。

時代祭は、「1895年明治28年)に平安神宮が創建されたのち、神宮の管理と保存のための市民組織として平安講社が作られ、その記念事業として「祭り」が始められた。祭りを盛大にするため、東京奠都以前の京都の風俗を遡る時代行列が提案され、「時代祭り」と呼ばれるようになった。」(wikipediaより抜粋)ものらしく、「京都三大祭りの一つであるものの、葵祭祇園祭に比べると歴史は浅い」(同上)らしいですよ。

上では妙な感想ばかり書きましたが、やっぱりそれなりに昔の雰囲気とかも感じ取れましたし、ノリノリのおっさんとかもいて、全体として結構面白かったです。祭りは大事です。
皆さんもぜひ京都に来たら時代祭を見てみてください。
次は一年後ですけどね。

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2014年10月02日

物語の妄想的読解法

三回生の西塔です。眠れないからくだらないことを書きます。
「ゆゆ式」という漫画のごくごく一部のワンシーンについて考えたことです。
この漫画の登場人物の一人に、日向縁という女子高生が出てきます。
その彼女についての切り抜いたワンシーンです。

ある日の夜彼女は鼻血が出て止まらなくなったそうです。
そしてこのまま血が出続けたら死んじゃうんじゃないかと心配しながらも床に就きます。
朝起きたらなんてことなく鼻血は止まってました。
それで生きてて良かったねと友達と言い合うとか、確かそんなエピソード。
間違ってたらごめんなさい。

ここからが僕の妄想的読解。
言うまでもなく人間は血を一定量失うと死にます。
すると縁の心配は、鼻血を引き起こしている血管の破れが永遠に治らないことにあるといってよいでしょう。
鼻の血管の破れという一時的な出来事が、今後の未来的事実を全て結果まで支配していくという、言い換えればとりかえしのつかない現実をつくってしまうという、運命論的な心配。
覆水盆に返らずの世界観です。
しかし血管の破れは永遠に血を流させ続けることはなく、まあ血小板なりなんなりが働くわけですけど(これに対応する漫画の中の描写はない)、血の流れは止まり、不可避の悲劇的な運命の象徴としての死は訪れなかったわけです。
そしてそのことに対して皆が祝福する。
予定調和的な運命の支配ではなく、それに抵抗していくことができるという人間の可能性を讃美するのがこのエピソードの趣旨だったのではないか、もっと俗っぽく言えば、失敗は訂正することができるという思想としてこの話は読み込めるのではないかとか、そんな感じ。

もっとどうかしている読解。
ここで失われている「血」とは、血縁とかそんな言葉で使われる、先祖からのつながり(この文の意味とは離れるけど、これを時代の流れと解釈しても似たような結論が作れる)の暗喩であり、縁が真に恐れているのは家族という伝統社会から切り離された完全な個別的存在になってしまうことなのではないだろうか。
ここまでくると明らかに、自分のイデオロギーの主張に漫画を利用している感がすごい出ますね。

毒だらけになったから、普通っぽい読解。
縁の心配は物事をよくわかっていない子供心から来るものであって、その子供心が解消される縁の成長過程が祝福されている。

↑に対して否定的な見解。
大人の世界では子供心に浮かぶ心配事が残っているにもかかわらず全て隠蔽されてしまう。この隠ぺいを旨とする社会に縁が溶け込まれざるを得ないという悲劇性より、共同体成員として認められることの方が生活するうえで重要な事柄であるということが、最後に与えられる祝福の意味するところである。

根本的ではあるがどうしようもない単純な読解。
縁はかわいい。それが全て。縁のかわいさがやがて世界を覆い尽くす。
作品をキャラ萌えとして味わうとなんでもこんな解釈になっちゃう気がする。

総括、あるいは結論として与えたくなる例のアレ。
ゆゆ式は哲学。

今回の読解が妄想的である理由。
前後のストーリーや複数いる登場人物を全く無視し、その代りに個人の考えを物語解釈に持ち込んでいること。
しかし物語なんて妄想的以外に読解しようがないような気がしなくもない。

妙に暗い内容なんで消されてもしょうがないと実は思ってたりする。
本当は、かの有名なラノベ「涼宮ハルヒの憂鬱」で異世界人が出てこないのは、キョンが異世界人だからであるとか、ルイス・キャロルの有名な小説「不思議の国のアリス」は年食って読んでも面白いし学ぶべきところは多いとかそんな話がしたかったような気がするけど、鼻のニキビが破れて血が出てきたからこんな話になってしまいました。その辺はまた今度機会があったらということで。

本気でどうでもいい雑談。マンガ「未確認で進行形」のタイトルをすごくポジティブに感じてる。なにもかも未確認な未経験の世界を切り開いていくイメージ。未来に肯定的。

数日前にやっと、二次元オタクの文化は妄想世界が支配しているのだと完全に理解しました。
そんなしょうもない報告で締めます。
どうもありがとうございました。
posted by DSK会員 at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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